「引き揚げのまち舞鶴」の発信強化 来年は戦後・引揚開始80年、世界記憶遺産10周年で
2024年10月30日(水) 配信
京都府舞鶴市(鴨田秋津市長)は10月30日(水)、東京都内で報道関係者を集めた説明会を開いた。2025年は戦後・海外引揚開始80年、またユネスコ世界記憶遺産(世界の記憶)登録10周年を迎えることから、「引き揚げのまち舞鶴」を市長自らがアピールした。
京都府の日本海側に位置する舞鶴市は、1901(明治34)年の舞鶴鎮守府開庁以来、日本海側唯一の軍港都市として栄えてきた。第2次世界大戦の終結にともない、1945(昭和20)年に旧海軍の軍港だった舞鶴港をはじめ、最終的に全国18港が引揚港として指定されたが、そのなかでも舞鶴港だけが引揚期間の13年間全期にわたり、引揚者を受け入れた。市民は戦後で自分たちの生活も苦しいなか、茶や芋を振舞うなど、心を込めて引揚者の帰国を歓迎したという。今もなお感謝の声が届くほどで、戦後の新たな第一歩を踏み出した「再出発のまち」となった。
一方、戦後79年がたち、戦争を実際に体験した世代の高齢化が進むなかで「体験者なき戦後」のはじまりを迎えようとしている。全国的に大きな課題として捉えられており、舞鶴も例外ではないが、市では「次世代への継承から、次世代による継承へ」を目指して独自の取り組みが進められている。
その一つが「学生語り部」の育成と活動だ。舞鶴港は13年間で約66万人を受け入れ、そのうち約46万人が旧ソ連領での強制労働を強いられた「シベリア抑留」者。こうした史実を残そうと市は1988(昭和63)年に「舞鶴引揚記念館」を開館した。そのなかで館内案内活動のために開催している「語り部養成講座」があるが、2016年度に初めて自主的に中学生3人が参加したことをきっかけに「学生語り部」が誕生した。24年度は中学生21人、高校生19人、大学生5人の計45人が所属し、館内や同館が主催するイベント、他地域の同世代の交流などを通し、自らの言葉でシベリア抑留や引き揚げの歴史を伝えている。
これについて鴨田市長は「大きな希望」と期待を寄せる。説明会には、東京在住でありながら、祖父がシベリア抑留者だったことをきっかけに学生語り部となった、日本大学文理学部史学科3年生の今野拓実さんも登壇。今野さんは「若い世代から若い世代へ発信するからこそ伝わることがある」とし、活動の意義を語った。
このほか、舞鶴工業高等専門学校と連携し、AI技術を活用した新システムの開発も進めている。開発しているのは、シベリア抑留体験者の証言動画に質問すると、体験者の実際の映像から質問にあった受け答えを聞くことができる双方向型のシステム。このほど開かれた「舞鶴引き揚げの日 平和記念式典」で実践発表会を行った。
鴨田市長は「引き揚げをやり遂げたまちとして、国内外に発信していくことが責務。舞鶴市自体もそうだが、引き揚げに対する認知度は低く、発信に努めたい」とし、「全国から教育旅行も積極的に誘致していきたい」と意気込んだ。
今年度は発信事業として、12月23日(月)~26日(木)まで、東京・丸の内のKITTEで「京都舞鶴―世界記憶遺産×日本遺産巡回展in丸の内」を開く。世界記憶遺産の代表的な資料である白樺の木の皮や煤をインクにして綴った「白樺日誌」のレプリカなどを展示する。
また、25年3月23日(日)は、東京・新宿住友スカイルームで次世代による継承を考える「ミニ平和未来フォーラム」(仮称)を開催する予定。