「津田令子のにっぽん風土記(111)」「すべてがライフスタイル」~ 長野県安曇野市編 ~
2024年11月8日(金) 配信
長野県・安曇野生まれの安曇野育ちの赤沼健至さんは、「世界の色々な所に行ってみましたが世界の名所に匹敵する素晴らしいところと思っています」と胸を張る。現在は燕山荘グループ代表取締役、安曇野市観光協会会長、安曇野市山岳観光推進実行委員会委員長などを務めている。
燕山荘は標高2712㍍の地にあり、眼下に安曇野、松本平を見下ろす。後ろには槍ヶ岳からはじまる高瀬渓谷と、裏銀座の山々が連なる360度の景色が望める場所にある。1910(大正10)年に創設され、健至さんで3代目。現在の本館は1935(昭和10)年に造られた建物で、第3ベンチ(標高2千㍍)の辺りから材木を人の背によって担ぎあげられ建てられた。
ご来光から日の入りまで刻々と移り変わる景色が堪能でき、ビギナー春山登山教室、ファミリー登山教室など各イベントも好評だ。
山荘は通年営業ではない。4月下旬~11月下旬、年末年始が営業期間で「これからは積雪の中での登山となるためある程度の経験が必要となる」と話す。「11月下旬までは白銀の世界の美しさや、ライチョウが山荘前にあるナナカマドの赤い実を食べに来るのを間近で見ることができます。年末年始営業中は杵と臼で日本一標高の高い場所で(と思われる)のお餅つきなども体験できます」と語る。
赤沼さんは登山と音楽と写真が趣味という。モンブラン、ヒマラヤ・アイランドピーク登頂など、たくさんの山に登ってこられた。
音楽は第5回ヤマハ・ライトミュージックコンテスト1971年でグランドチャンピオンを受賞したことが、現在のアルプホルン演奏につながっている。写真は日本山岳写真協会2017年度賞を受賞された。「趣味も含め仕事すべてがライフスタイルであり、ライフワークだ」と話す。
「光城山、長峰山から望む北アルプスと眼下に広がる安曇野の田園風景は圧巻」と赤沼さん。安曇野では縄文時代の黒曜石の矢じり、弥生から古墳時代にかけ造られた古墳群の多さ、1300年前から今に続く穂高神社の文化など、豊かな文化を育んできた。
戦国時代には光城山をはじめ、多くの山城が造られ、江戸時代から始まった拾ケ堰など多くの堰きを作ることで扇状地の水が地下浸透し稲作などができない場所を肥沃な田園にし、風景を作り出してきた。お米やそば、山葵、リンゴなどは安曇野を代表する特産品だ。赤沼さんは「安曇野の豊かな歴史と文化を後世に伝えていきたい」と夢を力強く語る。
津田 令子 氏
社団法人日本観光協会旅番組室長を経てフリーの旅行ジャーナリストに。全国約3000カ所を旅する経験から、旅の楽しさを伝えるトラベルキャスターとしてテレビ・ラジオなどに出演する。観光大使や市町村などのアドバイザー、カルチャースクールの講師も務める。NPO法人ふるさとオンリーワンのまち理事長。著書多数。