「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(238)」 飛鳥を翔けた女性たちの物語(奈良県・明日香村ほか)
2024年11月9日(土) 配信
山あいの小高い丘に、今にも宇宙からUFOが舞い降りたかのような八角形の巨大構造物が表れる。奈良県・明日香村にある牽牛子塚古墳である。
高さ4.5メートル、対辺長約22メートルの巨大なこの古墳は、飛鳥時代の女帝で、天智天皇・天武天皇の母、第37代斉明天皇(594~661年)の陵であると比定されている。古墳は2009年から10年にかけての発掘調査で、八角墳であることが判明した。橿原市との村境にあり、遠く藤原京や高松塚古墳などの方角が見渡せる、見晴らしのいい丘である。
日本が「国家」として歩み始めた飛鳥時代。日本の黎明期ともいうべき時代を牽引したのは、推古天皇(554~628年)から斉明天皇、持統天皇に至る女帝の時代であった。持統天皇の時代、藤原京の造営をもとに、国家間の外交、大宝律令をはじめとする法制度の整備などが実現、まさに日本国の礎が築かれた。
この女帝たちに加えて、日本で初めて仏門に入り、15歳で百済に留学した我が国初の尼僧・善信尼、斉明・天智天皇に仕え、万葉文化をリードした歌人・額田王など5人の女性の物語が、2015年に認定された「日本国創成のとき~飛鳥を翔けた女性たち~」の日本遺産物語である。
このストーリーを構成する文化財は誠に多岐にわたる。推古天皇ゆかりの飛鳥寺や石舞台古墳、斉明天皇ゆかりの冒頭の牽牛子塚古墳や酒船石遺跡、飛鳥宮、川原寺跡、持統天皇ゆかりの本薬師寺跡や天武持統天皇陵、善信尼ゆかりの大宮大寺跡や壺阪寺、額田王ゆかりの大和三山(香久山・耳成山・畝傍山)や高松塚古墳などなど、明日香周辺の広域エリアには膨大な文化遺産群が散らばる。
これらをストーリーに沿ってどのように訪ねればいいのか、現地の2次交通も含めて、なかなかに難しい。
日本史上、はじめて唐風の条坊制が用いられた藤原京は、奈良・平城京に遷都されるまでの日本の首都。その規模は、5.3キロ(10里)四方、少なくとも25平方キロはあり、のちの平城京や平安京をしのぐ、古代最大の都でもあった。藤原宮跡の6割ほどが国の特別史跡に指定されているが、広大な平原のなかには、かつての大極殿の土壇が残る程度で、見渡す限りの平原である。
古墳や古寺など目に見えるものは別として、この女帝たちの物語を理解するには、よほどの知識がないと難しい。このため、地域の協議会では、女帝などのストーリーごとの散策ルートの整備や、インバウンド客にも対応できるガイド・プロガイドの育成に力を入れている。
同時に、路線バス・コミュニティバスに加えてデマンド交通やスローモビリティの導入などにも力を入れている。
古代のロマンをどうう読み説くか。その「見える化」は、この地域にとって喫緊の課題である。
(観光未来プランナー 丁野 朗)