「観光革命」地球規模の構造的変化(276) パーマカルチャー
2024年11月16日(土) 配信
本稿脱稿寸前に衆院選開票結果(自公与党の過半数割れ)が判明した。世界の不安定化と混迷化に加えて、日本政界の大変動が明らかになり、日本の近未来に大きな不安を感じる。先行きの不透明な時には物事の本質に立ち返ることも必要だ。
1974年にオーストラリアの2人の研究者がその後の世界に大きな影響を与える重要な提言を行った。B・モリソン(当時46歳)とD・ホルムグレン(19歳)は「パーマカルチャー(Permaculture)」という新しいコンセプトを提唱した。
パーマカルチャーとはパーマネント(永続性)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を組み合わせた造語。永続可能な循環型農業を基本に自然と人間が共に豊かになるような関係性を築いていくためのデザイン手法だ。無農薬、有機農業を基本に自然循環を生かした持続可能な暮らしの実現を目指す運動である。
モリソンはタスマニアで生まれ、猟師や漁師を経て、連邦調査機関で野生生物の研究員に採用され、その後タスマニア大学の教員を務めた。その間に自然環境が壊され、野生生物が急速に失われていく現実を危惧して、パーマカルチャーの必要性を実感した。一方ホルムグレンは環境デザインを学ぶなかでモリソンの考えに共鳴して、パーマカルチャーに関わる倫理やデザイン原則を提案した。
パーマカルチャーは①地球への配慮②人々への配慮③余剰の分かち合い――という3つの倫理が基本。
モリソンは「地球を森で覆い尽くすこと」を目指し、無限の命を生み出す森を守り育てていくことが地球への最大の配慮と考えた。人々の個性や才能を自分のためだけでなく、社会全体へと用いることで豊かな社会へ導いていけると考え、人間と自然が共存するなかで人々が互いに助け合い、恵みを分かち合うことで、生活や心の安定が生まれると提唱した。
パーマカルチャーは既に世界各国のエコビレッジなどで実践されており、日本各地でもさまざまな試みが行われている。1996年に神奈川県相模原市でパーマカルチャー・センター・ジャパンが設立され、パーマカルチャーデザイナーの制度的育成も行われている。観光業界でもパーマカルチャーの理念を尊重しながら、地域社会との新たな連携協力の模索すべきだろう。
北海道博物館長 石森 秀三 氏
1945年生まれ。北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授、北海道博物館長、北洋銀行地域産業支援部顧問。観光文明学、文化人類学専攻。政府の観光立国懇談会委員、アイヌ政策推進会議委員などを歴任。編著書に『観光の二〇世紀』『エコツーリズムを学ぶ人のために』『観光創造学へのチャレンジ』など。