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【精神性の高い旅~巡礼・あなただけの心の旅〈道〉100選】-その44-長谷寺(奈良県桜井市) すべてを流してくれる 初瀬(長谷)の山おろし

2024年12月7日(土) 配信

 先輩や友達に長谷川さんや長谷さんがいるのだが、なぜ長い谷と書いてはせと読ませるのかがずっとわからなかった。

 今私は神奈川県に住んでいるが、鎌倉には有名な長谷寺がある。梅雨の時期のアジサイがとくに有名だが、四季を通じてなんらかの花が咲いていることで知られている。本尊は10㍍ほどの大きな十一面観音像である。 

 この観音像は、徳道上人が樟の大木から2体の十一面観音を造ったうちの一体である。一体は大和の長谷寺に安置され、もう一体は、衆生済度の願いを込めて海へと流したところ、15年かけて三浦半島の長井の浦に流れ着き、それを鎌倉に安置して開山したのが、鎌倉の長谷寺である。鎌倉の長谷寺は、最初は新長谷寺と言っていたことが伝わっている。

 鎌倉の長谷寺の起源となった大和の長谷寺に興味が生まれ、ちょうど奈良に行く必要があったので、足を延ばしてみた。

 

 

 近鉄長谷寺駅で下車し、いったん谷を下り、またお向かいの谷を上って長谷寺に至るのだが、そこで目にしたのは、「初瀬Hase」という道路標識だ。ここで長谷をはせと読むことに合点がいった。もともと初瀬という地名で、ここは長い谷の地形が特徴的だから長谷の漢字をあとから当てたのか。

 初瀬地区はまさに川沿いの長い谷に位置する。ここを通る初瀬街道はそのまま伊勢につながり、江戸時代はおかげ参りの一行がひっきりなしに通っていたそうである。今でも旧街道沿いに草餅、焼餅を売る茶屋が多く存在するのは長谷寺参詣だけでなく、おかげ参りの人々もここを通っていたからなのかと納得した。

 

本堂の舞台から見た初瀬の長い谷の地形

 ちなみに、十一面観音像が流れ着いた横須賀にも初声(はっせ)という地名があるが、これは偶然の一致だろうか、関連があるのだろうか。

 大和の長谷寺も鎌倉と同じく四季を通じて花が咲き誇り、「花の御寺」の別名を持つ。とくに桜と牡丹が有名である。

 立派な仁王門の先に399段の登廊が待つ。登廊を上りきった先に、国宝の本堂が鎮座する。本堂は南面し、清水寺を彷彿とする舞台造となっている。ここからの眺めは見事である。そして、ここに10㍍を超える巨大な十一面観音像が祀られている。

 この十一面観音像、どこか普通の観音様と雰囲気が違うと思ったら、普通の観音様は左手には水瓶(すいびょう)を持ち、右手は何も持たずに垂下していたり、手のひらを上にしていたりする場合が多いが、長谷寺の観音様は、左手には水瓶、右手には数珠と錫杖を持つ。錫杖は地蔵菩薩の持物であるが、まさに地蔵様と同じく、現世に降りてきて民衆の苦しみ、悲しみをともにするという想いを感じられる。

 

今も残る「源氏物語」玉鬘の二本杉

 長谷寺は、平安時代から著名人が頻繁に参詣している。NHK大河ドラマ「光る君へ」でおなじみの藤原道長や紫式部、清少納言も参詣した。「枕草子」「源氏物語」「更級日記」など多くの古典文学にも登場し、なかでも「源氏物語」にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する「二本杉」は現在も境内に残っている。

 また、有名な紀貫之の「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の歌は、長谷寺近くの宿屋の主人に久しく来られてないですねと言われて、それに対して返した歌だと言われている。また、同じ百人一首の「憂かりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを」に登場する初瀬はまさにこの地である。

 今回は学会参加のついでに寄ったので、長谷寺と女人高野で有名な室生寺も参詣するつもりにしていたが、すべてを流してくれるほど長谷寺の印象が強く残ったので、後味を大切にするために室生寺には立ち寄らず、そのまま余韻を感じながら近鉄特急で帰途に就いた。

 

旅人・執筆 島川 崇
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科教授。2019年「精神性の高い観光研究部会」創設メンバーの1人。

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