「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(240)」 すでに起きた未来・炭鉄港(北海道)
2024年12月29日(日) 配信
12月初旬、北海道岩見沢を訪ねた。今年5年目となる日本遺産「本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命『炭鉄港』~」のシンポジウムにお招きいただいた。会場には、空知の各市町や小樽、室蘭などからも関係者が多数集まった。
この物語の発端は、遠く離れた薩摩(鹿児島)にある。島津氏第28代当主の島津斉彬公は、1851年に薩摩藩主に就任するや、「集成館事業」に着手する。反射炉から鉄をつくり、西洋列強に負けない近代造船を確立する近代的西洋式工場群のことである。1840年のアヘン戦争を契機とする西欧列強のアジア植民地化の危機への対応だ。
集成館事業は、のちに近代日本の工業化に大きな影響を及ぼし、「明治日本の産業革命遺産~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」の世界遺産(2015年7月登録)につながっていく。全国8県11市に跨る広大なストーリーだが、ここには、集成館で学んだ薩摩藩士たちによる北海道開拓の歴史は含まれていない。
北海道では、明治維新の翌年に開拓使が置かれ、初代長官に薩摩藩士の黒田清隆が着任した。10年後には幌内炭鉱が開坑、石炭は日本で3番目に敷設された幌内鉄道によって小樽港に運ばれた。
幌内鉄道はやがて北炭(北海道炭礦汽船)に払い下げられ、室蘭にも鉄道が敷設される。室蘭では1909年に輪西製鉄所の溶鉱炉が稼働、鉄の町室蘭の礎となった。
やがて三井など財閥各社が進出、新たな大規模炭鉱開発も進められた。その後は戦時体制による増産と、戦後のエネルギー革命による合理化と衰退というドラスチックな変化を辿る。
北海道は明治から昭和の高度成長期までの100年間に人口が100倍にもなる急成長を遂げた。この軌跡を描いたのが、空知の「炭鉱」、室蘭の「鉄鋼」、小樽の「港湾」、それらをつなぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた歴史、「北の産業革命」の物語である。
事業を当初からリードしてきた友人の故吉岡宏高さん(炭鉱の記憶推進事業団元理事長)は、この物語の究極のモチーフを「すでに起きた未来」と語っていた。北海道の急速な発展と1960年代以降の凋落は、日本がこれから経験するであろう歴史を先取りする物語でもあると。
故木村尚三郎先生(東京大学)は、ご著書「振り返れば未来」の中で、「自らの未来を拓くヒントは、その歴史の中にある」。だから、地域は固有の歴史を見失うと、自分たちの独自性やアイデンティティーを見失ってしまうと喝破された。
社会が成熟し、ダイナミックな成長が止まった社会では、目先の違いに目を奪われ、未来への志向性が弱くなり、自らが歩んできた歴史を見失ってしまう。
いまの日本もまさにそんな状況なのであろう。炭鉄港の物語は、そんな示唆に富んだ物語でもある。
(観光未来プランナー 丁野 朗)