〈旅行新聞2月1日号コラム〉――旅と文学 仄暗い文学の世界の妖しさは増すばかり
2025年2月1日(土) 配信
福岡県北九州市の旧門司三井倶楽部には、1922(大正11)年冬にアインシュタイン博士が宿泊した寝室や、居間がそのまま復元・保存された「アインシュタインメモリアルルーム」が存在する。
同じ2階には、門司区が出生地とされる小説家・林芙美子(1903―1951)の資料室がひっそりとある。昨秋、帰省の際、門司港レトロを訪れた折にふと立ち寄ってみた。林芙美子は好きな作家の1人だ。少し薄暗い空間で、静かな時間を過ごした。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」の自筆色紙も飾られていた。
林芙美子の代表作の一つ「浮雲」を読んだのは20歳前後だった。一冊の文庫本「浮雲」だけを持って、代々木公園のベンチで日がな一日読み耽った。
魂が纏わりつくような男女のもつれが果てしなく続き、この物語を書いた女性作家の筆力に眩暈がしたことを覚えている。
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林芙美子のディープな小説の世界も素晴らしいが、実は紀行・旅行記も好んで読んでいる。ハルビンや、シベリアの三等列車、巴里(パリ)、台湾、樺太などの旅行記を数多く残している。彼女は身長140㌢ほどの小さな体で1人、大きなトランクを持って欧州やロシアの街を訪れていた。
スマートフォンで欲しい情報は何でも得られる現代でも、初めて訪れる海外の旅行地には不安を覚え、さまざまなトラブルに遭遇する。明治生まれの物書きの女性が、未知の世界に思いを馳せ、単身で旅をする度胸にも魅かれるところだ。
当然、思い通りにならない旅が続き、彼女も心細さや後悔などの心情も吐露するが、世の中や旅に対して過剰な期待を持たぬ胆の据わり方に、読者は引き込まれる。「旅と真正面に向き合い、そこで起こるすべてを自らの運命として受け止める」覚悟ある姿勢が清々しい。
北海道稚内市から船で樺太を旅する「樺太への旅」も1930年代の当地の暗さが伝わってくる。昨夏、私は単車の旅で稚内港から礼文島にハートランドフェリーで渡った。日本の最北端・稚内市から方角は違えども、遠く船で離れていくときに、甲板の上で頭に浮かんで離れなかったのは、なぜか林芙美子の樺太への旅の情景だった。
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林芙美子は酒についても書いている。「或一頁」という小品は、まず文章の巧みさに酔わされる。作品では、自宅で一人、広島の「賀茂鶴」を呑むシーンがある。「柔らかくて、秋の菊のような香りがして、唇に結ぶと淡くとけて舌へ浸みて行く」とさらりと表現している。
私はこの一文を読んだ足で、まっすぐ酒屋に行き「賀茂鶴」を買って帰った。林芙美子の筆の力によって毎晩、「賀茂鶴」をお猪口に注いで「秋の菊のような香り」を味わっている。旅と同様に、彼女の酒と向き合う距離感や姿勢が好ましい。
人や仕事、旅、酒など、一つひとつと向き合うことの連続が人生であり、その対象と向き合ってきた距離感や姿勢が、その人を表すものだと考える。
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旅も美しい写真や動画で表現されることが圧倒的に増えてきた。一方、文字のみで旅を伝える旅行記は、情報がアップデートされることもなく、古びてゆくばかりである。しかしロウソクで小穴を覗くような、想像力を掻き立てる仄暗い文学の世界の妖しさは、時とともに増すばかり。
(編集長・増田 剛)