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「観光人文学への遡航(58)」 追悼 三尾博氏(5)

2025年4月2日(水) 配信

 現在旅行業界でJTBに次ぐ地位につけているエイチ・アイ・エス(HIS)が誕生したのが1980年、バックパッカー帰りの澤田秀雄氏が新宿の小さなアパートの1室において電話1本で旅行会社を始めた。澤田氏が扱ったのが格安航空券、すなわち、IT運賃のバラ売りである。

 もともとIT運賃は包括旅行運賃の名の通り、旅行を振興するためにホテルなどと抱き合わせて販売することを条件に、航空券部分だけが一人歩きしない約束で、限られた旅行会社のみに卸している運賃である。

 旅行会社はIT運賃の販売実績をもとに、航空会社から販売報償金(キックバック、スケールメリット)を半年ごとに得る。この時代は年々実績が伸びていたから、対前年を上回る販売目標(ターゲット)が設定される。このターゲットが達成されたら、より多くのキックバックがもらえるのである。そのため、上半期4月から9月、下半期10月から3月のそれぞれ2~3カ月前になると、ターゲットを達成できるかどうかの見通しがついてくる。もしターゲット達成が難しい場合は、赤字を多少出しても実績を積んだ方がいいので、大手旅行会社は期末には血眼になる。

 そこにHISは目をつけた。HISはバックパックを好む学生たちを会員に抱えていた。彼らは8、9月、2、3月は長期休暇で、航空券さえあれば、バックパックに出掛けることができる。そのため、HISは、自身は航空会社と直接契約することなく、大手旅行会社の売れ残っている席やターゲットにあと一歩で達成する路線を誰もが驚くような値段で売った。

 当初は会員に向けてクローズドなマーケットで売っていたが、路面店舗を持つようになり、格安航空券の価格が一人歩きし始めた。大手旅行会社は、本来であればそれに対してIT運賃の規則違反を糾弾するところだが、自分たちも裏で売れない航空券を回しているのだから、何も文句を言うことができず、瞬く間にHISは格安航空券で市民権を得て行った。

 当時の日本航空の東京・大阪支店はHISと直接契約はしていなかった。どんどん規模を拡大するHISに対して、東京・大阪支店は苦い顔で見ながらも手をこまねいていたが、名古屋支店は三尾課長がHISと直接契約をするとぶちまけた。

 今でこそHISは押しも押されもせぬ地位を築いているが、当時はルール無用の無頼派で、商慣習の間隙を縫ってあれよあれよという間に急成長したという位置づけだったから、東京・大阪支店からは大批判を浴びせられたが、それでも名古屋支店は直接契約に踏み切った。

 結果、HIS名古屋支店はルールを守るようになり、抱き合わせのIT運賃よりも、正規の格安航空券であるPEX運賃が売れるようになったのである。

 

島川 崇 氏

神奈川大学国際日本学部・教授 島川 崇 氏

1970年愛媛県松山市生まれ。国際基督教大学卒。日本航空株式会社、財団法人松下政経塾、ロンドンメトロポリタン大学院MBA(Tourism & Hospitality)修了。韓国観光公社ソウル本社日本部客員研究員、株式会社日本総合研究所、東北福祉大学総合マネジメント学部、東洋大学国際観光学部国際観光学科長・教授を経て、神奈川大学国際日本学部教授。教員の傍ら、PHP総合研究所リサーチフェロー、藤沢市観光アドバイザー等を歴任。東京工業大学大学院情報理工学研究科博士後期課程満期退学。

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