「日本橋」の上空 ― 日本の首都の観光の力が敗北した姿
銀座や日本橋界隈は、同じく東京を代表する魅力的なエリアの新宿や渋谷、池袋にはない“粋”を感じる。老舗の寿司屋や鰻屋なども点在する一方で、流行の最先端を行く店舗も次から次に進出し、街に緊張感が漲っている。そんな粋な銀座・日本橋ではあるが、いつも残念に思う瞬間がある。それは、国の重要文化財に指定される「日本橋」の上を跨ぐ首都高速道路を目にする時である。
前回の東京オリンピックが開催された前年の1963年に、日本橋の真上を横切るように首都高速道路が建設された。そして、再び4年後に東京五輪が開催されようとしているが、日本橋の上の首都高速道路は、今も半世紀以上前の日本の社会状況と人々の意識を映し出したままだ。
¶
日本橋は、江戸幕府を開いた徳川家康が1603年に全国道路整備計画に際し、木造の橋を架けたのが始まり。五街道の起点として、また江戸らしいにぎわいと活気に溢れ、絵師・安藤広重など浮世絵の風景画としても数多く描かれている。
日本人の旅のスタイルは、五街道整備の影響を大きく受けており、東京における日本橋の「物語性」は計り知れなく大きい。当然のように首都高速道路の地下への移設を求める声や運動もあるが、移設費用との兼ね合いもあり実現していない。現在の日本橋の状態は、「観光の力」が十分に発揮されておらず、経済損失の方が大きいのではないかとも感じる。
¶
発展途上にある国の都市は活気があり、魅惑的だ。“混沌”も一つの文化として面白いし、興味深いものではあるが、一方で抑制の不在を感じる。多くの人々が生活する都市は、さまざまな層の欲望がぶつかり合う。そして、最終的に政治力や経済力の強い者の力に引っ張られていく。そうすると、その強引さと引き換えに、必ず「負」の遺産が現れる。つまり、安っぽい“アメ玉”をしゃぶらせられた末に、一部の経済的欲望に屈服した都市の恥部があちこちに散見されることになる。世界的に人気を集める都市や美しい田園エリアは、安っぽい“アメ玉”に簡単に屈しない矜持があり、威厳が漂う。これこそが観光の力を発揮している姿である。
東京のような大都市には、人・金・モノ・情報が集中するので多種多様な力学が働き、抑制が難しい。逆に、地方の過疎部は、それらが集まらない。このため、多くの自治体が避けたがる「産業廃棄物の集積場」などを誘致しなければならず、観光の力が無力化され、挙句に、地域の自然環境との調和を崩す。
¶
東京の文化と歴史を象徴する「日本橋」上空に首都高速道路が跨ぐ状態は、日本の首都の観光の力が敗北した姿である。美しい田園風景に、産業廃棄物を受け入れる姿勢に通じる。観光の力とは、経済に屈服してみじめな姿を晒さない構造を作ることである。いわば戦いである。
今は無理かもしれないが、数十年後に、首都高速道路が地下に移設され、日本橋の上に青空が広がれば、そのときは、日本全体に大きな意識の変化があったことになるだろう。“日本橋の上を跨ぐ高速道路”のような状態は、全国のあらゆるところで見つけられる。観光立国を目指す日本は、訪日外客数の拡大を一つの指標としている。だが、本当の観光立国の意味するものは、国民全体の意識の中にある。
(編集長・増田 剛)