あえて… ― 快適なゆえの“退屈さ”を排除する
ある時、フランス料理の先生が2人、向かい合って昼食を食べているのを何気なく眺めていたことがあった。
彼らは、テーブルに肘を着き、リラックスしながら時に話に夢中になり、千切ったパンでお皿のソースの残りをすくいながら、口に持っていっていた。フランス料理を知り尽くし、テーブルマナーも熟知しながら、背筋を張らず、丸めた背中で少し下品にフランス料理を食べる、慣れた仕草に男の色気のようなものを感じた。世の中には、さまざまなマナーや作法、ルールがあるが、知識のうえで知りながら、あえてきっちりとやらないことが、洒脱であったりもする。服装もそうだ。上から下まで完璧なドレスアップよりも、あえてのドレスダウンが粋に見える。
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最近の旅は、どんどん快適な方向に進んでいる。家を出て駅や空港まで行けば、目的地までエアコンが効き通しで、雨にも濡れない。目的地でもホテルや旅館の中でずっと過ごせば、旅の途中でその土地の空気と触れることもなく、旅が終わる。
数年前、沖縄の県庁に日帰りの取材に行ったことがある。家を出てバスで高速道路を走り、羽田空港からそのまま飛行機に乗った。那覇空港に着くと空港内でランチを取り、モノレールに乗って県庁前駅からわずかに歩いただけ。沖縄の島渡る風をほとんど浴びることなくその日の夜には逆の経路で家に帰っていた。これは、私の中では、「旅」とは言えない。沖縄には行ったが、「旅」ではなかった。
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最近、普通自動二輪の免許を取りに行っている。
なぜ、オートバイなのか?
それは、どこか快適さへのささやかな反逆なのかもしれないと、思っている。
クルマは、年々快適性が向上している。まず、ほとんどがオートマチック車である。AT車は便利な分だけ、退屈さを感じてしまうのは、仕方がない。
最近のクルマは、エンジンの振動や風切り音も遮断し、シートポジションも細かに選べ、エアコンやナビゲーションシステムも高性能だ。だから、家を出て、気が付けば快適な環境のまま、目的地に着いてしまうことになる。
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人間は贅沢である。不快なものを次から次に取り除き、ようやく得た快適さには、退屈を感じてしまうのであるから。だから、あえて快適さを排除したものを求めたがる。
その一つが、オートバイである。クルマはまもなく自動運転の時代が到来する。そうなれば、ただの快適なカプセルの移動に過ぎない。
メルセデスやポルシェ、ロールスロイスを所有する世界中のセレブの多くも、オートバイを所有している。快適な退屈さをあえて排除した楽しみに興じているのだと思う。
オートバイには天井もなければ、エアコンもない。このため、夏は暑いし、冬は凍えるほど寒い。雨が降れば全身ズブ濡れだ。転倒すれば、生死に関わる。しかし、少なくとも旅の目的地に到着した時に覚える感動は、快適な高級車で行くよりも大きいはずだ。
宿も同じで、ただ快適さや贅を尽くすだけでは、宿泊客はもの足りなさを感じるかもしれない。山や海、川など自然を体感できる遊びのメニューや、あえて原始的な空間を提供することも、きっとプラスに作用するだろう。
(編集長・増田 剛)