人によるサービス ― 接し方の多様性こそがおもてなし
日常生活において、仕事上の必要性や、家族との会話を除くと、知らない人とはほとんど会話をしていないことに気づく。東京近隣に住み、都心に向かう通勤電車や、ターミナル駅などで数千人とすれ違う毎日でありながら、誰とも会話を交わすことなく、視線すら合わせない。
だから、都会の片隅で、たまたま知り合いに出会いでもしたなら、奇跡的な再会のように驚きの声を上げ、感激したりもする。それほどまでに、人は多くの人とすれ違いながら、誰とも知り合うことがない、孤独な存在なのである。そして、奇妙な話だが、見知らぬ人に囲まれて、とくに会話もせずに生きることに、どこか心地よさも感じているのだと思う。
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旅先での「人との交流」が、一つの旅のスタイルとして、なんとなく、もてはやされている。しかし、多くの旅人はそれほど旅先での交流を求めているわけではないのかもしれない。
日々の生活で自らの孤独の存在に、若干の寂しさと、心地よさを感じている多くの現代人が、旅先だからという理由で、訪れた土地の見知らぬ人と積極的に交流を求めるかといえば、そう簡単なものではないように思える。
実際1人で旅をするときに、私はほとんど旅の途中で会話を交わすことがない。余程困ったとき以外は、積極的に誰かと関わり合いたいとは思わないのである。
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例えば、今は体験型の旅行が人気である。この場合、体験することが旅の目的であるために、現地の人との交流がメインであるし、お互いのニーズが合致しているので幸せな出会いになる可能性は極めて高い。
しかし、とくに目的もなく、旅先の温泉地をぶらぶらしたりする旅の場合、交わす会話は、何か小さなお土産か、酒のつまみのような買い物をする際に、せいぜい「これください」「はい、ありがとうございます」くらいなものだ。だけど、旅は、それでいいと思う。
宿の客室係から「どこから来たのか」「どこを観光したか」など必要以上に話しかけられ、疲れてしまうことも多々ある。とくに旅館では、「少しでも多くお客様と会話をしなければ」という強迫観念や、宿の方針として決められているケースもあるのだろうが、もし旅人が少し話したそうであれば、話しかけてあげ、そうでなければ、そっとしておいてあげる方がいいのではないかと感じる。
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今は外国人観光客が日本旅館に宿泊するケースも増え、言葉によるコミュニケーションが取れないことも多い。その場合、外国人客が何を伝えようとしているのかを必死になって考えようとする。それが伝わったときには、お互いに感動するし、仮に伝わらなくても、旅人はそこまでガッカリもしないものだと思う。日本人客に対しては、言葉が通じる分、観察力も十分に発揮されず、対応も画一的なものになりがちである。
人工知能(AI)が今後、さまざまな分野で活躍する時代が来るだろう。だが、お客に話しかけるか、それとも放っておいた方がいいか、の判断は人間には敵わないはずだ。人によるサービスの価値が見直されている一方で、融通のきかない、お仕着せの対応がストレスになる。それなら干渉されないホテルの方がいい。接し方の多様性こそが、おもてなしの真髄であると思う。
(編集長・増田 剛)