“今しか見られない”熊本の姿、「防災教育」柱にPRへ
昨年4月に発生した熊本地震から8カ月が経過した12月2―3日、熊本市内を取材した。今回の地震は、熊本市内に大きな被害をもたらした。観光面でも風評被害などがあり、観光客数の回復に苦戦。7月に始まった「九州ふっこう割」は九州全体の観光客数の回復に効果を上げたが、終了後の反動減などへの不安も大きい。熊本には「今しか見られない姿」がある。熊本空港の震災後の歩みや観光施設の状況、関係者の思いなどをまとめた。
【後藤 文昭】
◇
「熊本観光の展望」語る
熊本国際観光コンベンション協会は、観光客と教育旅行誘致や、さまざまな情報発信などを担っている。観光コンベンション課の黒木三奈子課長に、熊本の観光について聞いた。
――現在の観光施設の状況は。
震災によって多くの施設が被害を受け、立ち入り制限、休館している施設もあり、観光施設として回れるところが震災前より少ない状況です。
――熊本城には多くの人が訪れています。
熊本城は5月12日から二の丸広場が、6月8日から加藤清正神社が一般に開放され、外周からその姿を見学できるようになりました。そこでパンフレットを作成し、「ダメージは受けていますが、今のこの姿を見てください」とPRを始めました。石垣が崩れている姿は、驚きや学びにつながります。市内に住んでいる私たちも石垣の中を初めて見て内部構造を知りました。今しか見られない、学べないからこそ、観光客にもぜひ見ていただきたいです。
――そのほか、今だからこそ見てほしいものは。
熊本城の周りの飲食店や土産物屋などが「日常を取り戻している」部分を見て、そして地震に負けず頑張っている熊本の「人」に会ってほしいです。
例えば、中心部の飲食店では地震発生後約1週間程度でガスが復旧して、営業を再開できたところも多かったです。しかし、ニュースなどで熊本の被災状況を見た県外の方が「しばらくは行かれないだろう」と思われたのか、当初は「ここが熊本の繁華街か」と思うくらい閑散としていました。
――風評被害の影響は大きかったですか。
首都圏の人たちに「行ったらダメなのでは」と思われていたみたいです。地震発生直後の映像はニュースで流れるのに、復興のようすや今の日常などの映像が流されないのはもどかしく感じます。復興していく姿も、報道してほしいですね。
――10月には初めて阿蘇に沖縄からの修学旅行生が訪れたようですが。
修学旅行は保護者や教職員が決める部分が大きいです。子供たちが「行きたい」といっても、親は「余震もあり、また大きな地震が来るかもしれない場所になぜ行かせるのか」と心配します。
私たちは毎年数回、各地で誘致キャラバンを行います。今年は地震もあって夏までは実施できませんでしたが、9月は沖縄で行いました。そのときに沖縄の中部・南部の中学校を回り、先生方から「防災教育という観点から子供たちに見せたい」というようなお話をいただきました。そのことも今回の結果につながったのではないかと思います。
――防災教育とは。
修学旅行には学習の素材が必要で、熊本市内だと今までは歴史学習でした。今後はそこにカギとなる「防災教育」を加えたPRを計画しています。そのために、東日本大震災のときのように実際に被害に遭われた方に「語り部」になっていただく仕組みづくりを始めたいと思っています。またその際は、震災体験だけではなく「身の守り方」など地震への備え方なども教えていきたいです。
――12月にはふっこう割が終了します。
1―3月は閑散期のため、不安もあります。また、首都圏からのお客様の戻りが遅いので、プロモーションの展開を考えています。移動距離が長ければそれだけ泊数が伸び、滞在時間が長くなるので、消費も多くなります。このため、首都圏や関西方面からの観光客の戻りが重要になります。飲食店や土産物屋で利用できるクーポンブックを作る計画も進んでいます。
――ありがとうございました。
◇
熊本市内65カ所の施設で利用可能、クーポン付プラン販売(楽天トラベル)
楽天トラベルはこのほど、「くまもと うまかクーポン付き宿泊プラン」の販売を開始。熊本国際観光コンベンション協会が企画した。熊本市内65カ所の土産物施設、飲食店で使える3千円分のクーポン券を収録している。有効期限は3月31日まで。エリア紹介や詳細な地図、施設情報などがコンパクトにまとめられている。
地震発生から9カ月が経過した現在も、宿泊者数や観光客数の回復に苦戦。結果、市内の多くの飲食店や土産物屋の利用者も少ない。そこで宿泊プラン利用者にクーポンを配布し、長期滞在につなげる仕組みをつくった。
同協会の観光コンベンション課の黒木三奈子課長は「(滞在時間を長くして)ゆっくりお土産を買う、おいしいものを味わう時間を楽しんでもらいたい」と利用者への思いを語った。
◇
「貴重な歴史を後世に」、震災後8カ月の思いと歩み
―阿蘇くまもと空港
阿蘇くまもと空港には「国内線旅客ターミナルビル」と、「国際線旅客ターミナルビル」、「貨物ビル(2棟)」がある。そのなかで最も大きな被害を受けたのが、「国内線旅客ターミナルビル」だ。1971年に完成した同ビルは、現在までに4回の増改築がなされ、2012年までに耐震補強も終えていた。しかし今回の地震が想定以上の揺れを引き起こし、天井幕崩壊や壁面の亀裂などを発生させた。とくに損傷の大きかったのが建物のつなぎ目部分で、現在も利用客の移動を制限しなければならない状況となっている。復旧工事は、1月下旬に終了し、一部テナントの工事も2月9日に終了する。また休業中のレストランは、2月下旬に再開する。
一方空港施設は、滑走路や誘導路、レーダー施設、通信施設などへの大きな被害はなかった。これは、震央から直線距離で約6キロの距離にありながら、「硬い岩盤上にあったから」という。
震災発生後熊本空港ビルディングは、空港ビルの閉鎖と午前4時45分以降の便の全便欠航を決定。大成建設と九電工が国内線ターミナルの緊急安全点検を開始。早期運行開始に向け、航空機乗降のための動線と機能を確保する作業などを進めた。地震発生から3日後の4月19日午前7時40分には、ターミナル内を使用しない運用方法で到着便の運航が再開。同日午後3時に国内線ターミナルを一部再開し、同時に出発便の運行も開始された。その後も損傷した搭乗口の修復などを進め、6月2日には震災前と同じ規模(出発・到着それぞれ1日最大38便)の運航が再開された。
同時に空港は全国からの救援物資の受け入れや消防、警察ヘリなどの拠点としてもフル稼働していた。これも空港施設への被害が少なく、県が整備した防災エプロンなどが最大限に活用できたからだ。例えばジェットスター・ジャパンは本震があった16日にはすでに千葉県成田市からの要請を受け、支援物資(1794トン)を成田―福岡便で空輸できていた。
空港職員は当時を振り返り、「線で結ぶ鉄道網や道路網の復旧が難しい状況で、点と点を結ぶ空港を早く復旧させたいという期待に応えられたことが今後に向けての大きな自信になった」と語る。
―夏目漱石第3旧居
1896年、夏目漱石は英語教師として熊本に赴任。2016年は、それから120年目の記念年に当たる。漱石はイギリス留学までの4年3カ月を市内で過ごし、その間6回引っ越している。漱石が暮らした家で現存しているのは、一番気に入っていた大江の家、長女筆子が産まれた内坪井町の家、留学までの3カ月を過ごした北千反畑町の家の3棟。内坪井町の家は「夏目漱石内坪井旧居」として公開し、館内には漱石の熊本での活動が分かる資料を多数展示していた。しかし震災によって現在は内部への立ち入りができず、庭園のみの公開となっている。
熊本市は5月10日から「夏目漱石第3旧居(大江の家)」内部を特別公開した。旧居は今回の地震で壁にヒビが入るなどの被害はあったが、公開に支障が出るような損壊は発生しなかった。震災からわりと早い時期での公開決定には「イベントはすべて中止になってしまったが、記念の年に多くの人に漱石を感じてほしいという思いもあったのではないか」と現地ガイドはいう。館内では 「夏目漱石内坪井旧居」内で展示していた漱石関係の資料を公開。あわせて「熊本洋学校教師ジェーンズ邸」の資料も展示している。これは、ジェーンズ邸が今回の地震で倒壊してしまい、資料公開ができなくなってしまったための措置だ。同邸宅は熊本で最初の西洋建築で、日本赤十字社の前身「博愛社」が誕生した場所でもある。「(2つの熊本の)貴重な歴史を伝えていくために、今後も資料の拡充をはかっていく」という。11月の公開日は25日間あり、660人が訪れた。中には海外から来た漱石ファンも多く含まれているといい、取材時にも2人の外国人観光客が熱心に見学していた。
◇ ◇
「崩れた建物の写真をたくさんの人が撮りに来るのを見て、とても辛かった」と、地元の人が話していたのが忘れられない。熊本市内のアーケードは多くの人でにぎわい、水前寺成趣園には紅葉を楽しむ観光客もいた。それらの情報はなぜ発信されず、多くの人に注目もされないのだろうか。阿蘇地域など被災した傷が癒えていない地域も多いが、多くの地域は日常を取り戻している。今しか見られない熊本がある。復興が進むよう、多くの人に現地に足を運んでもらいたい。