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民泊 ― 見知らぬ個人が予め善意を期待する

2017年7月21日
編集部

 福岡県福岡市で民泊を利用した外国人女性に乱暴し、強制性交等致傷の疑いで貸主の男が容疑者として逮捕される事件が発生した。「住宅宿泊事業法」(民泊新法)が今年6月9日に成立し、来年初めにも施行されるなかでの事件となった。

 被害を受けた女性は、容疑者が民泊施設として提供したワンルームマンションをインターネットで予約していたという。

 民泊を考えるとき、まず頭に浮かぶのが、やはり安全性についてだ。今回のようなケースでは貸す側、借りる側の双方にリスクが生じる。また、出火の危険性や騒音、近隣のルールに従わないゴミ出しの問題もこれまで数多くの事例として紹介されている。多くの民泊仲介サイトでは貸主と借り手を相互評価するレビュー制度を設けており、安全対策としてかなり有効に機能していると、一定の評価も受けていた。

 しかし、今回の事件は、民泊が内包する〝闇〟の部分が改めて強調された。

 旅は基本的に「危険なもの」である。旅館やホテルであっても、さまざまなトラブルに巻き込まれる可能性は否定できない。初対面の一般の個人を信頼して宿泊する民泊は、旅のリスクがさらに上がる。

 旅館やホテルと同じように、民泊施設の提供者も旅行者を宿泊させることができる。だが、旅館・ホテルと民泊は明らかに違う。

 旅館・ホテルは旅行者を宿泊させるためにさまざまな法律の遵守が義務付けられ、長い歴史を築いてきた。一方、民泊は「空いたスペースを有効活用する」という経済効率的な観点が優先され、ようやくできた法律がさまざまな犯罪やトラブルを後追いしている状態だ。

 この事件が生じたから、「民泊は危険極まりない」と声高に叫ぶつもりはない。もちろん、良心的に施設を提供している貸主はたくさんいる。しかしながら、民泊には危険も潜んでいるという、当たり前の認識を旅行者がしっかりと持つことが大事だと思う。

 民泊は見知らぬ者同士の善意に基づいている。旅館業、ホテル業という宿泊を生業とするプロ集団ではなく、未知の個人と個人の信頼に基づいたマッチングに委ねる。予め一度も会ったことがない見知らぬ人の善意に期待し、依拠しながらの旅は、脆く、どこか居心地の悪さを感じさせるのだ。一般的に、個人間の信頼というのは長年の付き合いのなかで生まれるもの。そして、信頼関係は人間のウェットな部分だ。そのウェットな部分に頼りながら、初対面というドライな関係。そこに少し違和感を覚えてしまう。

 旅館やホテルは宿泊客を守る法律でしばられている。玄関付近にフロントのカウンターがあり、宿泊者以外の不審者にも目を光らせる。旅館では、女将さんや支配人が笑顔で声を掛ける。仲居さんやフロアスタッフらが常に館内を歩きまわり、また宿泊者同士でも監視の目が働いている。私は、スタッフが働くなかで宿泊する安心感を、いつも肌で感じている。

 旅館やホテルはもっと民泊との違いをアピールすればいいと思う。朝に食事処で炊き立てのご飯や地元の新鮮野菜、採れ立ての魚を出す努力。また、宿を出るときに、玄関でずっと手を振りながらお見送りする。愚直だが、旅館の存在証明としては強烈だ。

(編集長・増田 剛)

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