「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(78)」(兵庫県豊岡市)西村屋本館≪庭と建物の一体感が身上の平田館≫
数寄屋建築の巨匠といわれる平田雅哉の設計施工による平田館。西村屋本館では、登録有形文化財に登録された平田館の印象がひときわ強い。建築されたのは1960(昭和35)年。60歳を迎え、円熟期となった平田の傑作といわれる。
平田館は木造2階建て、客室9室の宿泊施設である。中庭をすっぽりと囲むように建物が立ち、建物の東側には奥庭が設けられている。この庭と建物との一体感が、平田数寄屋の真骨頂である。
1階の渡り廊下から中庭を眺めると、実際の広さ以上に奥行と広がりを感じる。中庭の中央に緩やかにカーブする白い砂利の流れがあり、その左右に苔の緑と低木や高木の植え込み、そして小さな起伏の前には石灯篭が配置されている。白砂利は左手奥にある高床式の観月の間の下方へと延び、奥庭にある池からは中庭へと水が流れてくるのだ。「奥庭の落ち葉が水に乗ってくると風情があります」。宿の人が言った。建物にとっての庭ではなく、自然の山野に建物がある印象なのだ。
平田数寄屋は客室の造りも従来の数寄屋造りとは印象が違う。床の間や床脇があっても、ただ並列に置くことはしない。特別室の観月は幅が一間半もある畳床だが奥行は浅くして軽みを感じさせ、床脇はガラス窓と障子の2枚重ねというもの。おまけにガラス窓には太さの違う縦の桟を並べ、横にアクリルの貫を通している。天井は深さのある格縁で組み、箱を並べたような格天井だ。ユニークである。
客室はそれぞれ趣を変え、御幸の間は10畳の本間に幅一間半の踏込み床を設け、天井は猿頬面の棹縁。鈴懸の間は畳床に2本の板状の床柱を立て、那智黒を敷いた手水場を広縁の並びに置く。2階の光淋の間も畳床だが、床柱は細めの絞り杉丸太で気取りがあり、桐の一枚板の欄間には全面にカエデの彫刻が張り付いていて目を驚かせる。平田館を好み、全室を泊まり較べる客もいるそうだ。
西村屋本館には平田館のほかに昭和初年ごろに建てられた本館や、1949(昭和24)年建築の離れがあり、総客室は34室。本館2階の大広間「泉霊」と、外回りの板塀も登録有形文化財になっている。敷地2300坪。城崎温泉街の西寄りに堂々たる外観を構えている。
旅館を経営する西村家は福井県若狭の出自で、江戸時代の末に城崎温泉で旅館を創業した。現在の本館を建てたのは4代西村佐兵衛だった。1925(大正14)年の北但地震で城崎温泉が壊滅した直後である。城崎町長でもあった佐兵衛は復旧に全力を挙げるとともに、家業の旅館建築にも目を配った。のちに航空会社を立ち上げるなど事業に積極的で、行動力のある人ならではの働きだったろう。和風の本館も品のいい造りである。平田館と対比するような館内ツアーがあれば面白い。
(旅のルポライター 土井 正和)
コラムニスト紹介
旅のルポライター 土井 正和氏
旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。