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「街のデッサン(199)」カフカに出会って構想したことは 旅は思い出の抽斗(ひきだし)である

2017年11月4日(土) 配信

カフカが執筆していた長屋

 「朝夢からさめると、グレゴールは一匹の毒虫に変わっていた」という不条理な人間社会を描いた小説に出会ったのは、まだ学生時代のころ。それまでに、トルストイやロマン・ロランの王道の文学に浸っていた私には、路地の奥深くに迷い込んだ印象だった。

 カフカに出会った私は妙な連想をした。カフカを「可不可」と読み替えたのだ。学生にとって、「可」か「不可」かは大問題。不条理な学生生活をより楽しくできないかを考えたのだ。

 思い付いたのは、大学の近辺に空き家を借りて、学生情報センターのようなアジールの経営である。そこではA教授のノートの貸し借りや、B教授の期末試験の傾向と対策、ゼミの課題のサポート、同好会や部活の夏合宿の宿の紹介など、情報が錯綜する。それをカフェのような機能にすれば、珈琲やカレーがサービスされて営利事業としても考えられる。小部屋が用意できれば、そこで同好会のミーティングもでき、絵画の作品の展示場になり、詩の朗読会の会場にもなる。ゆくゆくは多くの大学の近辺にアジールがネットワークされて、全国事業としても成立する。店の名前は「カフカ」、事業はカフカチェーンとする構想だった。

 この秋、さる旅行会社が中欧を巡る新コースを実施した。ポーランド航空の直行便を使いチェコのプラハから入りモラヴィア高原の諸都市を回ってポーランドのワルシャワに至る道程だ。プラハとワルシャワの両方を訪れる行程は魅力で、私も望んでいたコース。

 プラハ観光の最初に訪ねたのはヴルタヴァ川(モルダウ川)を見下ろす王宮であるプラハ城。宮殿も聖ヴィート大聖堂も見応えがあるが、私が最も見ておきたかったのは城の一番隅にある黄金小路だった。元々城の召使が住んだ小部屋の並ぶ横丁であったが、後に保護された錬金術師たちの工房となった。この小部屋を、実はカフカの妹が兄のために借りてやって、下宿の騒音に悩んでいたカフカはここを執筆場とした。その部屋の有様を見ておきたかった。

 「No22」と記された長屋の空間は密室風で、今はカフカの著作や絵葉書を売る本屋になっている。部屋の壁に穿たれた窓からは、谷間の樹々と遠くプラハの旧市街が望めた。錬金術師たちはとうとう金を鋳造できなかったが、カフカは不条理の文学によって深層の鉱脈を掘り当てた。私といえば、「カフカ」から借りた学生時代の事業構想は不発に終わり、彼が沈潜していたその部屋で、空しく不条理の青春を思い出だしているだけである。

(エッセイスト 望月 照彦)

コラムニスト紹介

望月 照彦 氏

エッセイスト 望月 照彦 氏

若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。

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