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「提言!これからの日本観光」「観光ルートバス」

2018年2月17日(土) 配信

メーグルは今日も名古屋市内をめぐる(写真はイメージ)

 名古屋に「めーぐる」と車体に書かれた市営バスが走っている。名古屋駅を起点に市内にある観光スポット、とくに当地域が力を入れている「産業観光」の施設などを巡る観光ルートバスで、「めーぐる」の愛称もそれに因んだものである。

 名古屋市には他の大都市、観光都市と同様市内に「定期観光バス」が運行されてきた。しかし、平成に入ったころから地下鉄新線の開業、自家用車の急速な普及、観光形態の変化があり、利用が落ち込んできた。そして昭和20年代半ばから数十年の歴史を持つ定期観光バスは廃止の憂目を見たのである。当時主な都市で定期観光バスが全国の時刻表から消えたのは名古屋市のみという残念な状況となった。

 名古屋商工会議所など経済団体や、観光団体などは、これに名古屋観光の危機を感じ、その復活、代替交通手段確保を市長に陳情するとともに、一般路線バス方式での運行などの提案もしたのである。市当局でもこれを受け慎重に検討し、新商品ともいうべき標記の「観光ルートバス」の運行を一般路線バスとして2007年から開始した。

 このバスは名古屋駅から、○産業技術記念館、○ノリタケの森、名古屋城、○名古屋文化のみちを経て、○徳川美術館に至る、そして帰途はルートを変えて、栄(この付近にもテレビ塔や○産業資料館などがある)を経て名古屋駅に戻るものである(○は産業観光施設を指す)。

 運行してみると予想以上に好評で、週末には名古屋駅前の乗り場に長蛇の列ができ、異例の玄関横づけとなった産業技術記念館バス停でも長い列が続き、続行便を出したり、大型バスに取り換えたりと開始後は対応に忙殺されるほどであった。

 これに応えて増便増車がはかられ、大型バス五台で30分毎の運転となり、経路も渋滞箇所を避け安定運行を確保、乗客がさらに増加した。現在はまちの景観に融け込んだ黄色に塗られたバスは内外の観光客の大切な足として定着している。

 最初永続性が危ぶまれたルートバスが発展したカギは、提供する「随意性」サービスと「情報」発信にあったと考えられる。定期観光バスは途中食事などを組み込んだセット商品で、ツアー参加する人々の貸切で、誰でもいつでも乗れるものではなかった。最近の観光客は団体行動から脱皮し、それぞれの志向で単独、小グループで観光するようになってきた。すなわち、セットメニューでは満足しなくなったのである。ルートバスは路線バスと同じバス停から予約なしで自由に乗車でき、運賃も路線バスと同じ均一料金で、各種交通カード利用も可能という「随意性」がアピールできたと思う。また、バス運行に際し、商工会議所産業観光関係施設が全面協力し、結果「情報」の強力な発信ができたことも、大きくこの盛況に寄与している。今日もこのバスは「商工会議所 産業観光施設(名)の協力で運行しています」と車体に明記し、黄色の「めーぐる」をトレードマークにして市内を巡っている。

コラムニスト紹介

須田 寛
日本商工会議所観光委員会共同委員長
須田 寬 氏
 
 
 
 
 
 

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