【元湯 陣屋に学ぶ―(後編)】どうすればシステム化は浸透するのか 幸せに働く旅館になるために
2018年2月20日(火) 配信
10億円の負債を抱えた2009年に、青天の霹靂から後継を決めた宮崎富夫氏と知子氏。早々にシステムの自社開発を始め、仕事と情報の見える化と効率化を促進。また、ブライダルやレストランから客単価を上げていき、高収益体制へ。3年後からは週休2日制を導入。これがさらなる活気を生み、やる気・人気・業績ともに高い、選ばれる旅館へと変貌した。後編では、最も難しいとされる働く人々の意識改革と、それを促すための具体的な教育を中心に紹介しよう。
【取材・文=ジャーナリスト・瀬戸川 礼子】
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陣屋がシステム化に注力した理由は言うまでもない。旅館の真髄はおもてなしにあり、それを行うのは人間だが、一人ひとりが持つ時間や精神力を含めた能力には限界がある。よって、「人間ならではのおもてなしに力を入れるには、余計な無駄を省くためのシステムが必要」(富夫氏)だからだ。
しかし、これは誰でも分かっている。問題なのは、分かっていながらシステムを導入できない、または導入しているのに使いこなせないことだ。
これについてまず肝心なのは、なぜシステムが必要なのかを、幹部からアルバイトまでもれなく伝えることだ。100回は言う覚悟を持とう。
スタッフ側からすれば、システムが使えるようになったからといって、すぐに休みが増えるわけでも、給料が増えるわけでもなく、面倒が増えるだけだ。
使ってよかったと実感できるまでには数カ月から数年の時差があり、その間のやる気をできるだけ落としたくない。
そこで、システム導入の目的を分かりやすく示し、会社のためだけではなく、スタッフにとっても意味のあることだと、事あるごとに説明する必要が出てくる。
「私もそうしましたが、経営者が率先して使う姿を見せるといいですよね。そうしないと、スタッフはやらされ感が増しておもてなしにつながりませんし、強制されていると思われてしまうと、意見も出なくなります」と富夫氏は注意を喚起する。IT化と教育は2つで1セットなのだ。
□情報共有でチームのおもてなし力高まる
陣屋もすぐにIT化が浸透したわけではない。スタッフ全員にパソコンやiPadを支給するも、使いたがらない人がいた。そこで、システムにログインしなければ給料申請できないなど、使わざるを得ないように知恵を絞った。
また、日々のさまざまな情報を、部門を越えて全員と共有するために、知子さんは何か会話するたびに言った。「いまのことSNSに投稿しておいてね」、「必ずアップしてね。私も後でコメント出すから」。何回も、何回も、何回も、ひたすら言い続けた。
「2人で済んだ話も、絶対に投稿してもらうんです。その投稿に対して、私やほかの人がコメントを出し、『見ていますよ』とアピールする。習慣化するには、繰り返し続けるしかありません」
やがて、スタッフは主体的になり、「〇〇様が客室の懐紙にメッセージを残してくれました」と、写真を添えてアップされたり、「レストラン利用時に、お子さまへのこういうサービスをしたらこんな風に喜んでくれました」ということが、随時、投稿されるようになっていった。すると、「ああ、こういうことをしてあげていいんだ」、「自分もやってあげたい」と、周りが考え出す。
社内の雰囲気に皆が感化され、部門が協力し合う陣屋チーム全体のおもてなし力も徐々に高まっていった。
知子さんは言う。「若いスタッフが自分で選んだお皿に、自分でお客さまの誕生日祝いをチョコペンで書き、『これにケーキを盛り付けてください』と、厨房に持って来たりします。うちの厨房は嫌がりません。情報共有のお陰で、みんなでお客さまを笑顔にしようと思えるからです」
毎日全員が、おもてなし事例のシャワーを浴びていれば、実際の行動が起こしやすく、社風にもなりやすいのだ。
SNSに投稿することで、たまたまその場にいた人だけではなく、部門の異なる全員が、逐一、同じ情報を得られる。これは前編に記した、言った言わないの水掛け論をなくす以上の効果を生む。前述のおもてなし事例もそうであるし、「こういうことがこう加味されて、こういう結論になった」と、物事のプロセス全体を知ることができるため、思考力の育成にもなるのだ。
万が一、スタッフの行動が逸脱しそうなときは、富夫氏や知子氏が軌道修正をはかる。これもまた判断材料としてデータ蓄積されていく。
□木曜の午前中は毎週全体研修会
月曜日の午後から水曜日いっぱいまで、週休2・5日の陣屋では、まだ顧客がいない木曜日の午前中を毎週、全体研修に当てることができる。午前8―9時はPDCA報告会、9―10時はサービス研修だ。1年間で約50回。何の研修もなかった頃と比べ、明らかな質的成長が見られるという。
PDCA報告会は、個々の社員が複数ずつ持つ目標に対し、先週1週間、どのように「プラン(Plan)→行動(Do)→確認(Check)→改善(Action)」したかを発表する。時間配分は1人5分(発表3分、ディスカッション2分)で、12―13人が担当。正社員25人の発表が隔週で回ってくる配分だ。
例えばある社員は、「客室の湯のみの洗い方の改善」を掲げた。陣屋は導線が長いので、洗い場から離れた客室の湯のみをその都度、漂白しては非効率だ。そこで、洗い場が遠い客室の汚れの強い湯のみは、月曜にまとめて漂白するよう合理化した。このように、目標達成に向けてさまざまなPDCAが何十個も考えられていく。
活気のない組織では、これ以上、自分の仕事を増やさないために改善提案の口をつぐむが、陣屋は逆だ。知子氏は、「うちは遊んでいる時間はないので、言っても言わなくても大変です。どうせやるなら、希望のあるしんどさのほうがいいですよね」と笑う。
物事を自分の頭で考え、発言(宣言)し、行動する習慣を育んでいけば、たとえ新人でも「こうしたほうがいい」と意見を言うようになる。その環境づくり自体が仕事そのものと言っても過言ではない。
さて、9時からはサービス研修だ。新人チームとそれ以外の2チームに分かれるが、時間割は共に、座学20分、ロールプレイング30分、まとめ10分とメリハリをつけている。
ある日の新人チームは、顧客を客室に案内するロープレを行った。具体的な日々の仕事に生きる研修である。
□「陣屋コネクト」に1人20グループ参加
スタッフ全員が毎日、幾度となく目を通す独自システム「陣屋コネクト」。業務プロセスの道具であるだけではなく、仕事ごと、プロジェクトごと、勉強ごとなど、いくつものグループがあって連絡を取り合っている。1人当たり20ほどのグループに参加しているという。
例えば、「メール添削グループ」がある。新人向けで、謙譲語の使い方から、交渉事まで、メールの手ほどを受ける。
「1度、イエスと言ったことを、後からノーとは言えませんから、『最初からこういう表現をしておきましょう』、『お客さまへのお願いごとは、やんわり表現しつつも明確に伝わるようにこのように書きましょう』など、具体的に教えます」と知子氏。添削記録は保存され、同僚や次の世代も参考にできる。
旅館業界の「暗黙の了解」を「明白な規定」としているのも陣屋の特徴だ。ノーショーやキャンセル時の料金規定はホームページに提示し、実際にそれを守っている。
高齢者から「具合が悪くて行けない」と当日に連絡があった場合でも、事情に共感しつつ、キャンセル料100%の請求書を送付する。
「個別の事情ごとにキャンセル料をもらったり、もらわなかったりするのではなく、規定通りにします。『私たちはあなたをお待ちしていました』との思いを明確に示したいのです。ただ、電話でキャンセル料のことを伝えますと、8割は『じゃあ行きます』と、おっしゃいます。また、レストラン利用の場合は、特別献立ではない場合に限り、別の日をご予約いただければキャンセル料はいただきません」
旅館の真髄はおもてなしと先述したが、顧客の都合で泣き寝入りすることは、おもてなしとは違う。キャンセル料については、明るく平然と言うのがコツで、そうした言い回しも、あらかじめロールプレイングで練習しておくという。
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陣屋では将来、部屋割りをAI(人工知能)に任せたいとしている。AIが土台を作り、知子氏やほかのリーダーが最終判断することで、時短と精度を両立させる。そして、空いた時間で、心のゆとりを得たり、人間にしかできない新しい仕事をしていく。
前編・後編で紹介してきた、陣屋の「幸せに働くための取り組み」は、近年広く知られるようになり、3人の新卒採用枠に前回は20人の応募があったそうだ。
辛い仕事を顧客の喜びで解消するマイナスありきではなく、喜びの上にさらに喜びを重ねるプラスありきの場であることが、未来にのぞまれる旅館像ではなかろうか。