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〈旬刊旅行新聞2月21日号コラム〉“シンプル”ゆえの心地よさ 宿とお客が過剰に求め過ぎない関係

2018年2月20日
編集部

2018年2月20日(火) 配信

清潔でシンプルな客室に好感を抱く(イメージ)

 2月中旬に熊本県の上天草市を取材で訪れた。私は同市がすすめる「複合型スポーツ&ヘルスツーリズム事業」の一環で、上天草総合病院で人間ドックを受けたり、タラソテラピーを体験したりと、次号で詳しく紹介するが、生まれて初めての体験が続いた。

 2泊3日の日程の中で、上天草市と長崎県南島原市の間に浮かぶ有明海の小島「湯島」に定期船で向かった。湯島は、「談合島」の異名を持つ。これは「島原・天草の乱」で天草と島原両軍がしばしば会議を開いたために、そう呼ばれている。さらに、この島は猫の島としての顔も持っている。定期船が港に着くと、猫たちが出迎えに来てくれる。長閑な島で人懐っこくて、愛らしい猫たちと触れ合い、癒された時間だった。

 上天草市で2泊した宿は、16畳分の和室だった。トイレと、広縁も備えられていた。やわらかい障子で仕切られた和室はテーブルとエアコン、テレビ以外は何もない、潔いまでにシンプルな部屋だった。畳一面の空間は柔道場のようだった。部屋の中央には白いシーツに包まれた布団が敷かれていた。料理は一転して豪華で、新鮮な海の幸が振る舞われた。

 近年は海外の富裕層などをターゲットにしたラグジュアリー旅館が各地に増えてきた。1泊1人4―5万円するカテゴリーだ。ベッドや布団、アメニティーも高級素材をそろえている。あらゆる局面で一分の隙も見せぬほど「極上の快適さ」を提供する姿勢だ。お客からの要望があれば標準装備としてすべて取り入れていく。必然的に価格は少しずつ上がっていく。

 気がかりなのは、現代の多くの日本人が求める旅のスタイルとの心理的な乖離の広がりである。とくに若い世代では、旅先で利用する宿泊施設は旅館ではなく、ホテルでもなく、小グループで安く泊まれる民泊施設という傾向も耳にする。

 一部の富裕層と違い、多くの旅行者は、旅の予算が限られている。「美味しいものが食べたい」「記憶に残る体験がしたい」など多くの願いの中から、幾つかの贅沢を諦め、妥協していく。この過程で「ある程度の快適性は残しつつも、宿泊費をできるだけ安くしたい」「一点豪華主義でいい」というムードは強くなっている気がする。

 私の持つスマートフォンにはさまざまな機能が付いているが使わない機能も多い。このムダな部分が、常時微かな不快感を残している。自分が求めるものよりも過剰なサービスを提供される不快感も存在するのだ。クルマも家電製品も〝あれば便利〟と想定される機能を標準装備として付け足していく傾向がある。しかし、それは「私個人」ではなく、総体としての〝あれば便利〟である。そして、過剰装備と価格上昇が極限に達すると、今度はその反動として必要最低限なものを備えた、シンプルで手ごろな価格の製品やサービスを求めたくなる。

 宿も記念日などでなかったら、清潔に清掃された客室に、エアコンが効き、真っ白いシーツに包まれた布団が置かれた簡素な空間が、妙に居心地よく感じるときがある。必要最低限の装備であっても、良心的な価格と誠意を持ってサービスを提供すれば、ほぼ問題ない。

 宿とお客が互いを過剰に求め過ぎない関係がいい。その心地よさを再認識した上天草市の旅だった。

(編集長・増田 剛)

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