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「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(158)」東アジア文化交流のシンボル 上野三碑(群馬県高崎市)

2018年3月25日(日) 配信

「上野三碑」のひとつ多胡碑 (国指定特別史跡)

 昨年10月、高崎市郊外の上信電鉄沿線にならぶ3つの石碑が、ユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録された。古代上野(こうずけ)の国で発見されたこれらの石碑は、我が国と東アジア諸国の交流を物語る歴史的文化財として大きな注目を集めた。山上碑(681年)、多胡碑(711年頃)、金井沢碑(726年)の三碑は、日本に18例しか現存しない石碑の1つであり、狭い地域に集中して存在している点が大きな特色である。

 三碑は、いずれも半島からの渡来人がもたらしたもので、この時代の中国を起源とする政治制度や漢字文化、仏教などがユーラシア大陸東端の日本に到達・普及した交流の歴史を象徴している。なかでも多胡碑は、既存の片岡郡・緑野郡・甘楽郡から300戸を分けて多胡郡とするよう命令したことが書かれている。末尾には藤原不比等など、当時の高官の名前もみられる。碑の中にある「羊」は渡来人と考えられるが、初代の郡長官となった人物である。この周辺地域は、古くから織物や焼物などが盛んだが、これも渡来人と密接な関係がある。

 しかし、これらの碑は、9世紀後半からの郡衛の衰退や律令制そのものの破綻から、再び闇の中に消えた。その存在が再び日の目をみるのは約700年もあとの連歌師・宋長の功績といわれる。しかも18世紀には多胡碑の拓本が朝鮮通信使を通して中国に渡り、書の手本として中国の書家たちに大きな影響を与えた。

 多胡碑の近隣に設置された多胡碑記念館は、三碑の拓本と書をテーマとしたミュージアムでもある。

 上信電鉄沿いと言えば、その先には2014年に世界遺産登録された富岡製糸場がある。もちろん上野三碑と近代製糸場はただちにつながらないが、富岡製糸場は、養蚕・製糸が盛んだったこの地域に、当時のフランスの最先端技術を導入した事例であり、上毛三碑は、7―8世紀に、同じく先進的な渡来技術を受け入れたことが、この地域を象徴する、何か示唆に富んだ出来事に思われる。

 三碑は早くから保護のための収蔵庫が設置されているが、世界記憶遺産登録後は、三碑を巡る循環タクシーや休憩処としてのカフェの出店などが進み、現在はボランティアガイドなどの育成を急いでいる。

多胡碑記念館は、書道史などを収集・展示する

 そんななか、3月初旬、上信電鉄沿いにある地元の高崎商科大学で、地域の歴史資源の活用と大学の在り方をテーマとした「地域創造フォーラム2018」が開催され参加した。高崎商科大学では、学生たちが教員の指導のもとに、これら地域資源の活用に係るフィールドワークを積み重ねており、モデルルートづくりや三碑にまつわる商品開発、カフェなどの交流の場づくりなどを進めている。

 富岡製糸場と上野三碑。ともに第一級の歴史資源をどう活かすか。地域の新たな物語と交流の場づくりをどう進めるか。地域と大学の叡智が問われている。

(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)

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