〈旬刊旅行新聞4月1日号コラム〉少しずつ手を入れる“味わい” 愛情を受けたモノには輝きが備わる
2018年3月30日(金) 配信
最近気になっているのが、ドイツの総合工具メーカー「スタビレー」だ。このスタビレー社のコンビネーションレンチセットが欲しくて、色々と調べている。頑丈であるのに、軽く、ネジを閉めたり、緩めたりする際の支点の位置も作業しやすいように深く考えられている――といった評価もある。
オートバイに乗るとき、私はいつも鞄の中に必要最小限の工具を入れている。スパナやレンチ、ドライバー、黒いビニールテープなどである。メンテナンスの時にも、これら工具を使用する。だが、そのほとんどが日曜大工の店で、安く買いそろえた工具なので、堅く締まったボルトやナットを緩めるときに、ネジ山をなめてしまうことが多々あった。また、無理な角度から回すために、オートバイや自分の手を傷つけてしまうことも少なくなかった。
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ある日、クルマを整備に出したときに、ピットクルーのスタッフが「クルマのワイパー部分にこれが置いてありましたけど、お客様のものですか?」と1本のめがねレンチを差し出してきた。長年、風雨にさらされていたためか、錆だらけになっていたが、手にするとずっしりと重くしっかりとした造りのものだった。
「いや、心当たりはないですが……」と私が応えると、「では、処分しときますね」とクルーは踵を返した。
「あ、ちょっと待ってください。処分するのだったら、ください」と私は言った。再び、その錆だらけのめがねレンチを手にすると、その錆びた体の端々から鈍い輝きがあった。握った感触はただものではなかった。長年プロである整備士の手のひらに握られ、数々のクルマのボルトと格闘してきた歴戦の残影が伝わってきた。自分がいつも持ち歩いている工具は、いわば「素人集団」であることがすぐにわかった。
私は、なんだかうれしくなり、家に帰ると早速オートバイを出して、幾つかのボルトを緩めてみた。やはり、想像していた通り、オートバイや自分の手を傷つけることなく、滑らかにボルトは回転していった。
今では、私の鞄の中でこの錆びためがねレンチが常に同行している。そして、それ以来〝しっかりとした〟工具セットを欲するようになったのである。
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工具でオートバイをメンテナンスするのは楽しい。構造が少しずつ理解できてくるし、大事にしようという気持ちや愛着も湧いてくる。空冷エンジンでキャブレター車なので、コンピューター制御に依らない単純な構造なのも気に入っている。
現在のクルマやオートバイはハイテク化し過ぎていて、一部分が壊れてしまうと、総取り換えしなくてはならない構造になりつつある。便利になるのはいいのだが、〝味わい〟が薄らぐ気がする。
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建築物もそうである。古くても少しずつ手を入れて、大事に使われているレトロな建物には、深い味わいがあり、温かみを感じさせる。山の秘湯宿などに行くと、古い木造建築に出会うことがある。最新の機能を備えた空間で働く都市生活者には不便を感じることもあるかもしれない。しかし、それら人々も時を重ねた建物が醸しだす空気に引き寄せられるものである。長い時間、人の愛情を受け続けた〝モノ〟にも、輝きが備わるのだと、感じる機会が増えてきた。
(編集長・増田 剛)