「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(84)」(新潟県新潟市)髙志の宿髙島屋≪ 古色とぬくもりのロビーや明治天皇休息の間がある≫
2018年4月1日(日) 配信
玄関前の築山に「明治天皇御駐輦碑」という石碑が立っていた。「輦(れん)」とは天子の乗り物。1878(明治11)年、明治天皇が北陸巡幸の際にこの地で休息したことを示している。休息場所となったのが髙島屋であり、その1室が「駐蹕(ちゅうひつ)の間」の名称で残されている。「駐蹕」は天子の乗り物をとどめるとの意味で、碑に書かれた「駐輦」と同義である。当時はまだ旅館業ではなく、岩室の庄屋であった。髙島家は近江の国高島の出身で、初代の髙島秀高が大坂夏の陣に参戦したという旧家なのだ。その後岩室に流れ着き、7代目の髙島庄左衛門道順が岩室温泉を発見したとの歴史が伝えられている。
駐蹕の間は玄関の左手前方向にある30畳敷き余りの和室で、天井高が約3・5メートルもあって広壮だ。天井からの下がり壁で縦横に4分割され、床の間が2つ。畳床と欅床で一方には筆返しのある床脇が付き、床柱は四方柾。部屋全体にぐるりと長押が回され、波を彫りぬいた欄間が力強い。現在は朝食処に使われていて、じゅうたんの上にイスと赤い輪島塗りのテーブルが置かれる。和洋のややちぐはぐな感じが、かえって近代という時代感覚があって面白い。
駐蹕の間に隣り合って喫茶コーナーがあり、ロビーやギャラリーが続く。この一帯を主屋と呼んで登録有形文化財の部分だ。主屋に続く蔵の間はかつての米蔵で、こちらも登録有形文化財。江戸末期に建てられ、今は小宴会場として使われる。
喫茶コーナーやロビーは、豪農の屋敷といっていい。喫茶コーナーは天井に松の丸太の梁を見せた力強い造りで、囲炉裏の切られたロビーは高さのある棹縁天井。その間を仕切る下がり壁は幅50センチほどの貫が支えている。建築は約1755(宝暦5)年だが、堅牢な構造は東日本大震災や2004年の中越地震などにも耐えた。宿泊客も「いちばん安全な場所だろう」とロビーに集まってきたそうだ。床は縁(へり)のない琉球畳を敷いて田舎家の雰囲気を演出。風呂上がりにサービスする地ビールに、客はのんびりくつろげるのだ。
館内は主屋のほか本館と別館があり、客室は全18室。そのうち登録有形文化財になっているのは主屋2階の山吹の間1室で、内装は変えられているが舟底天井や円形の下地窓がかつての雰囲気を伝える。
宿としての創業は1950(昭和25)年。吊り天井で50畳敷きの広間もあり、登録有形文化財になりそうなものだが、「私共としては新しいので」と女将の髙島基子さんは申請しなかったという。将棋の棋聖戦や囲碁の十段戦が行われた常磐の間など、静かで品のいい部屋も多い。竹林や古木の多い庭を含めて敷地は3千坪。源泉かけ流しの風呂や、板前4人をそろえて1品ずつ出す夕食は外国人にも評判がいい。文化財以外も楽しめることの多い宿である。
コラムニスト紹介
旅のルポライター 土井 正和氏
旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。