【特集 No.492】茨城の海辺の“独創的”な小宿 うのしまヴィラ×里海邸 金波楼本邸
2018年5月18日(金) 配信
茨城県の海辺に“独創的”な小宿がある。1つは日立・太田尻海岸のビーチに面した「うのしまヴィラ」(館主・原田実能氏)。もう1つは、大洗海岸の波打ち際にある「里海邸 金波楼本邸」(主人・石井盛志氏)だ。うのしまヴィラは「気軽に泊まれるセカンドハウス」がコンセプト。里海邸は保養地・大洗海岸の自然環境を生かした「別荘宿」をテーマとしている。天体や雲がダイナミックに動き、大海原が水平線まで広がる茨城の海辺で思索的な宿づくりをする、原田氏と石井氏の対談が実現した。
【増田 剛】
石井氏『いかに装いを崩していくか』
原田氏『“深日常”提供する空間に』
石井 文明開化期の1888年ごろ、里海邸の前身である金波楼が開業しました。
当時の大洗には潮湯治に来る流れがありました。金波楼には桟敷席で食事ができ、大洗海岸の自然環境を味わう舞台も備えていました。滞在志向で、ゆっくりと時間をかけて大洗の空気を満喫する思想や設計が建築にも表れていました。木造のしゃれた擬洋風の建物でしたが、団体旅行ブーム期には鉄筋化しました。
2011年に里海邸に変えるときには、自分の性質に合った宿を作りたいという思いが強くありました。今の建物も鉄筋コンクリートですが、創業時の思想を自分なりに研究して、もう一度かたちにしたいという思いはあります。
女将と結婚して、宿の6代目になったとき、「自分の人生でもあるので自分のやりたいようにやらせてほしい」というようなことを言いました。女将とはたくさんの宿に泊まりに行きました。
――夫婦でぶつかることはありますか。
石井 毎日ぶつかっています。
――どの部分でぶつかるのですか。
石井 お客様の滞在中の品質について「絶え間なく」です。チェックインからチェックアウトまで何度も打ち合わせと議論が続きます。
例えば、外は風が吹いている。窓を開けるか、閉めるか。そのことで議論になります。私は少し寒くても、お客様が上着を羽織ることになったとしても、「開けよう」と言います。でも女将は「窓を閉めて部屋を暖かくしないと、年配のお客様もいらっしゃるし、快適ではなくなる」と主張します。ごもっともな意見ですが、この宿の場所が持つ価値観を伝えるためには、「暖房よりも上着を着させなさい」と私は言うのです。そういったせめぎ合いが毎日続いて、サッカーの局面が一秒ごとに変化するように、議論し合っています。スタッフも同じような意識で「こうした方がいい」という意見を戦わせ合っています。
里海邸は「海辺でゆっくりと過ごす別荘を味わっていただく」ことがテーマです。私たちはモノを作っているわけでもないのですが、色々な部分でクリエイティブなのだと思います。保養の空間、時間、空気感、流れる音楽の音量、置いてあるイスの幅、話す声のトーン、歩く足音まで、スタッフも細やかにこだわっています。
――疲れませんか。
石井 疲れちゃいますよね。でも、そういったものの積み上げで独特の雰囲気が出ているのかもしれません。快適性の追求だけでは宿の文化としては面白くないので、いかに大洗の自然環境を味わってもらい、五感に訴え、記憶に焼き付けていくかを考えています。
――うのしまヴィラの歴史を教えてください。
原田 創業は1959年です。元々は青果卸を営んでいましたが、戦時中の日立空襲で焼け野原になった後、妻の祖父母がここ太田尻海岸に、鵜の島温泉旅館を開業したのが始まりです。初代の女将が、西行法師が訪れた時代から裸島と呼ばれている小島に、海鵜が馬のたてがみのように止まっているのを見て、鵜の島と名付けました。
創業時は日立製作所の人たちの接待や、福利厚生で利用していただくような健康増進施設でした。当時としては海の前にプールがあるのも珍しかったと思います。2代目は哲学者タイプでした。初代の営業方針とは方向を変え、日立グループに関わる人たちのビジネス向けの旅館へと重心を移していきました。
私が妻と結婚して宿に入ったころは、バブル経済が崩壊する直前の時期でした。この宿に来る前は、東京で音楽の道を歩んでいましたが、挫折を経験しました。数年間放浪しながら実父が絵を描いていたこともあり、画商になりました。結婚して間もない31歳のころに妻の母が倒れ、宿に携わることになりました。それから約20年間、海の前で理想的な宿のことを考え続けました。2代目が亡くなり、私が社長になったのが09年です。「観光色を強くした宿にしたい」という思いは強かったですね。その後、11年3月に東日本大震災で津波によって被災しました。補助金申請を出しましたが2年間保留となり、3年目にようやく申請が認められ、新しい宿の図面を引き始めました。
今の建物の形になるまでの漠然とした思いとして、小学校の古い木造建築の廃校を海辺に移設するような映像を思い浮かべていました。そして14年4月に「観光旅館で勝負しよう」とスタイルを変え、7室の「うのしまヴィラ」としてリボーン・オープン(生まれ変わり)しました。……
【全文は、本紙1712号または5月22日以降日経テレコン21でお読みいただけます。】