〈旬刊旅行新聞5月11・21日合併号コラム〉茨城の海 外連味のなさが妙にしっくりとくる
2018年5月18日(金)配信
九州の小さな海辺の町に生まれ、幼いころから海とは親しんできた。遠浅の海のせいで、干潮時には随分遠くまで潮が引き、岸から数百㍍離れたころに、ピッチャーマウンドのような砂浜が浮かび上がる。小学生のころ、よくその小さな砂浜で遊んでいて、ふと辺りを見渡すと満ち潮が音もなく、周りを覆っていたことがあり、その風景は今でも時折、夢に現れる。
高校時代には、50㏄のオートバイで海岸線を好んで走った。誰もいない砂浜に寝転がって、波の音を聴いているうちに、日が傾き、夕暮れになる。「この海の向こうは四国なのかな」と、瀬戸内海の西端から海の果てを想像していた。
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今号の1面特集では、茨城県の海辺に佇む2軒の独創的な小宿の館主が対談した。
プライベートビーチのような日立・太田尻海岸の白浜に佇む「うのしまヴィラ」(館主・原田実能氏)と、大洗海岸の波打ち際の宿「里海邸 金波楼本邸」(主人・石井盛志氏)だ。
海は一つひとつ表情が違う。とくに茨城の海岸線から眺める海は、独特な雰囲気があり、印象的だ。
神奈川の湘南や、千葉の九十九里浜の波とも異なる。言うなれば、見る者に一切、迎合しない表情だ。広い関東平野を海辺の方に北上していくと、天体や雲の動きが一層ダイナミックに映る。大海原が水平線まで広がる、青く澄み切った空も圧巻だが、分厚い雲と、強めの風、灰色の雨が景色を消す海面も、迫力がある。
心身ともに充実し、心が穏やかなときには、凪いだ海や静かな湖畔に心地よさを感じる。しかし、人間関係に疲れ果てたり、挫折や気分が荒れてしまった心理状態のときには、茨城の外連味のない海が、妙にしっくりとくるのだ。
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私は南の海辺で育ったせいか、北の海に心惹かれる。クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」の舞台となった北フランスの海辺のリゾート「ドーヴィル」の風景などがそうだ。
一方で、米国カリフォルニアの乾いた海にも憧れがある。広大な砂漠と、退廃的な雰囲気を纏わせるホテルがある海辺の街。東京都心からクルマのハンドルを握り、茨城の海岸線を走るとき、「夢のカリフォルニア」や「ホテルカリフォルニア」の音楽が似合うのはなぜだろうか。風景のドライさと、ウェットな情緒を結びつけさせるエリアだからかもしれない。
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うのしまヴィラの原田氏と、里海邸の石井氏との対談は、スリリングだった。昼過ぎから始めた対談は、いつの間にか夕方近くになっていた。対談が殺風景な貸会議室のような場所ではなく、太田尻海岸の水平線を眺めながら、静かに行うことができたのは幸運であった。というのも、私自身、対談中に多くのインスピレーションを得ることができたからだ。
毎日、小さな宿で海を眺めながらお客を迎えている2人の館主。日々、波の音や、海の表情、雲や天体の動きから新たな着想を得ているのだろうと、何度も思った。2人は建築や空間デザイン、音楽、映画、絵画、家具、器、料理、ファッションにも鋭い感性と知識への貪欲さを持っている。人工的な空間ではなく、自然を土台としながら、旅人の「孤」と「つながり」について深く思索し、自然との融合を追求しているところに凄みを感じる。
(編集長・増田 剛)