「登録有形文化財 浪漫の宿めぐり(86)」(三重県松阪市)割烹旅館八千代≪松阪城下に料理と宿泊の2枚看板で100年続く≫
2018年6月3日(日)配信
松阪城跡の東側、殿町周辺は江戸時代に武家屋敷が並んでいたところである。今も背の高い槇の生け垣が続き、敷地の広い家が並んで落ち着いた街並みを見せる。八千代はその一角にある料理旅館だ。
創業は1921(大正10)年。松阪城の二の丸跡にある料亭を買い取ってのことだった。初代の主人は阪本菊次郎。それ以前から営業していたとの話もあるが、詳細は不明である。後に二の丸跡の建物が手狭になり、現在地へ移ったのが1929(昭和4)年。やはり以前からあった建物を買い取り、料亭に改築したのだ。もとの建物は伊勢の豪商である小津清左衛門家の分家の小津孝之助の屋敷だった。
屋敷はみごとな数寄屋風の造りであり、菊次郎は2階を乗せるなどして拡張。翌年には大広間を新築した。「広い宴会場が欲しかったんでしょう」。4代目にあたる現会長の阪本陽一郎さんは言う。江戸期から商人の町として栄えた松阪には企業の本社や商工会議所などがあり、忘新年会や会議の後の宴会など需要が多かったからだ。
建物はおおよそ当時のまま残る。中庭をコの字型に囲んで玄関棟と鶴亀棟、大広間棟があり、3棟がいずれも登録有形文化財。大広間を含めた客室は12あり、そのうち7室が宿泊用にあてられている。屋根は桟瓦葺き。阪本家の家紋は抱き茗荷(みょうが)だが、瓦に小津家の家紋である剣片喰(けんかたばみ)が多くみられるのも歴史を知る見どころだ。
3棟のうちでもっとも古いのは鶴亀棟。明治末期の建築ではないかと考えられている。平屋建てで現在の中庭の北西にあったものを曳家して移動したという。鶴の間は一間の畳床に金箔張りの天袋を持つ床脇が付く。書院欄間には剣片喰の透かし彫りがあり、小津の商家のにおいが残るといえるだろう。
玄関棟では曙の間が凝っている。竹垣を模した廊下から入ると、踏込は石敷きで一軒家の玄関風。本間は自然木を棹に使った網代組みの天井がしゃれている。床の間は畳と段差のない踏込床で、掛け込み天井の広縁には煤竹を使った下地窓がある。茶室風の軽みだ。隣室の若竹の間も中央が網代で四囲をヨシズ張りで囲った天井が面白い。
一方、大広間は豪快だ。広さ110畳で、大きな床の間は幅が二間もあり、直径40㌢以上の床柱が畳から生えたように据えられる。天井は木目の美しい板をはめ込んだ折り上げ格天井。松、鶴、富士をかたどった透かし欄間と、麻の葉や青海波などをデザインした組子が宴席のめでたさを盛り上げる。
そして八千代では料理も忘れられない。代々の主人はみな調理師免許を持ち、4代目の陽一郎さんが言うように「料理屋8割」の旅館なのだ。主人自ら市場へ買い出しに行き、魚介を中心とした旬の素材をおまかせ料理で提供。数寄屋の造りに似合うことだろう。
コラムニスト紹介
旅のルポライター 土井 正和氏
旅のルポライター。全国各地を取材し、フリーで旅の雑誌や新聞、旅行図書などに執筆活動をする。温泉、町並み、食べもの、山歩きといった旅全般を紹介するが、とくに現代日本を作る力となった「近代化遺産」や、それらを保全した「登録有形文化財」に関心が強い。著書に「温泉名山1日トレッキング」ほか。