No.278 福島県・吉川屋レポート - 震災1カ月「普段」がそこにあった
福島県・吉川屋レポート
震災1カ月「普段」がそこにあった
福島県穴原温泉の匠のこころ吉川屋(畠隆章社長)は今年3月末までを創業170周年と位置づけ、順調に売り上げを伸ばしてきた。その流れを維持し4月以降も予約状況は好調だったという。だが3月11日に発生した東日本大震災後、状況は一変。宿泊客の安全確保や建物被害の補修、20日間にもおよぶ休業、被災者や復興支援関係者の受け入れなど、かつてない場を経験することになった。1千年に一度ともいわれる未曾有の出来事に直面し、宿はどう行動したのか。畠社長と女将の畠ひで子さんに震災後のひと月を振り返ってもらった。
【企画営業部 鈴木克範】
「発生20分で無事発信、170年の灯を消すな」 「普段通りの温泉旅館」
4月16日の午後、吉川屋を訪ねた。下調べで同館が4月6日から、震災で被災された方々の「避難所」として利用されていることを知っていた。自家用車であふれる駐車場や、避難者に伝える情報の貼り紙など、これまでの訪問とは違うようすを想像していた。だが、何か違う。「普段」通りなのだ。同じなのに違うというのも変だが、いつもの吉川屋がそこにあった。
実際には災害救助法の制度を利用し福島県からの要請で、同県南相馬市や飯舘村からの避難者を約230人、復興支援関係者約400人を受け入れている。畠女将は「宿として災害支援の一端を担うのは使命。でも(4月1日から)営業を再開し、温泉を楽しみにしているお客様をもてなすことが本来の姿」と、戻りつつある個人客を大切にしている。
当初からスムーズに対応できた訳ではない。もてなしを重視する温泉宿が被災者を受け入れることに、現場も戸惑った。かける言葉一つとっても「いらっしゃいませ」「こちらでごゆっくりどうぞ」ではなく「おはようございます」「こんにちは」と変わってくる。一つ屋根の下に温泉旅館と避難所を内包する館内は、接し方だけでなくさまざまな工夫が見られた。
※ 詳細は本紙1418号または日経テレコン21でお読みいただけます。