「街のデッサン(208)」志をもって、ふるさとに生きる 発酵する地域文化を育てる
2018年8月12日(日) 配信
地方都市から、1人の青年が私を訪ねて鎌倉の構想博物館にやってきた。飄々とした感じで、芯は強そうだ。キャリアを聞くと驚いた。東京工業大学大学院の社会理工学研究科・経営工学専攻を修了すると、地元の豊田自動織機に入社し自動車の生産管理、品質管理のシステム部門を担当してきたという。
天下のトヨタで働いていれば生涯暮らしは安泰では、と思える。ところが、その会社を退社したという。彼が話すには「クルマづくりも面白いのですが、かつて醸造業を営んでいた父の口癖は“酒蔵は地域の文化の醸造所”でしたから、トヨタで学び研鑽したことを地域の文化の生産・品質管理に転換できないか、と考えたのです。日本の地域風土は、産業も、生活にしても地域独特の文化を土壌にして育ちます。そこで地域経営と文化経営を新しく学び直そうと思っています」。
私のところに相談に来たのは、多摩大学の社会人大学院が目についたからだという。高給と安定した生活をあえて投げ打ち、現代社会の先端課題を解決する仕事をしたい、という深田賢之さんの志にいたく共鳴した。
多摩大学大学院に推薦し、2009(平成21)年の秋学期から入学して地域経営の勉強を始めた。私が理事を務めているNPO・コミュニティビジネスサポートセンター(CBS)も紹介して勤めることになった。CBSは日本の地域社会の問題解決をコミュニティビジネスで支える実験的な組織であったので、彼にとって生活の足しとなり、研究と体験の格好のフィールドともなった。
CBSで2年働き、その後1年間、地域経済の自立に挑戦する実践組織だった栃木県の那須烏山文化未来塾で研究員となって働いた。大きな体験と修得した叡智をお土産に、2012(平成24)年に故郷である愛知県岡崎市に帰り、現在地元の「NPO岡崎まち育てセンター・りた」に入社し、彼の理念である“志をもって、ふるさとに生きる”ことに挑戦している。
その深田賢之さんからこの春に案内が来た。「ようやく40歳にして所帯を持つことになりました。ついては式に出席いただきごあいさつを」という文面。立派に成長した“文化起業家”の結婚式でお祝いを述べたあと、彼の父親の正義さんが酒蔵を活用して「地域文化の醸造センター・おかざき塾」を営む長誉館を訪ねた。賢之さんが育った「醪(もろみ)」の現場を見る思いがして楽しかった。地方の文化酵母菌を育て続ける教え子を訪ねる愉快な旅を何と形容してよいやら、孔子だったらどう表すか思案していた。
(エッセイスト 望月 照彦)
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。