女将のための 女将による 女将の会議
≪東日本の観光復興大会、震災の経験を参加者で共有≫
「全国旅館おかみの集い」運営委員会と旅行新聞新社は7月3日、宮城県仙台市のホテルメトロポリタン仙台で「全国旅館おかみの集い―第23回全国女将サミット2012仙台―」を開いた。「『集い』―旅こそ支援、ありがとう 『学び』―経験を伝えることが恩返し 『結び』―仲間の輪、23年の絆」をテーマに掲げ、東北、東日本の観光復興大会として、初めて東北で開催。全国から例年を上回る約120人の女将が参加したほか、夕方からの懇親パーティーには約230人が出席した。
<全国旅館おかみの集い、初の東北開催で120人の女将参加>
会の冒頭、主催者を代表してあいさつに立った磯田悠子運営委員長(宮城県・ホテル松島大観荘)は「昨年の3月11日の東日本大震災後、全国や世界から多くの支援をいただいた」と支援への感謝を述べた。また、「震災後、観光は全国的に冷え込んだ。風評被害などで、全国的にお客様が動かなくなってしまい、大変私たちは焦った。被災地から元気を発信しなければならないということだったが、被害の大きかった施設の方もいるなか、とても心が痛んだ。このようななかで『旅をして』といっていいのか悩んだが、4月に東京の憲政記念館で元気宣言を発信した」と震災後の心境を語った。さらに、「1千年に一度の災害を伝えなければいけないという動きが出てきたことはとても感謝している。ぜひ被災地に足を運んでいただき、被災者の声を聞いてほしい。聞くだけでもボランティになるそうで、私たちも癒えない傷はあるが、話すことで心が晴れることもあるので遠慮しないで来てほしい。女将たちにも、来ていただいた方に惨状を話してほしいとお願いしている。ただ、来ていただいたお客様にピースサインだけはしないでほしいとお願いしている」と現状も述べたうえで、「自然災害はいつどこで起こるかわからない。我われの経験を全国の皆さんと共有していきたい」と語った。
特別運営委員の石井貞德旅行新聞新社社長は「この会も23回を迎えることができた。事務局を務める当社としても大変喜ばしい。今後も女将による女将のための会議として、なんとしても続けていきたい」と会への想いを語った。また、「昨年は全国でさまざまな災害が我われの業界を襲った。それでも我われはこの業界で仕事を続けて行かなければならない。そのなかで一番の原動力になるのは、女将の皆さんだ。女将の皆さんは仕事を愛し、お客様を愛し、従業員を愛して一生懸命に努めている。ぜひ災害にめげずに前へ進んでほしい」と激励した。
続いて、磯田委員長から昨年の第22回運営委員長で、今回アドバイザー委員を務めた有村政代女将(熊本県・清流山水花 あゆの里)に記念品が贈られた。有村女将は「昨年は大変な時で、どうなるかと思ったが皆さんのお陰で初の九州大会を開くことができた。皆さんと団結し、心を一つにしたことが結果につながった。さまざまなことがあるが、この経験を生かしていきたい。今日も九州から多くの女将が参加している。こうしたつながりで、一致団結して会を続けていくことが大切だ」とあいさつした。
開会後は、宮城県を中心に活躍する歌手・俳優のさとう宗幸さんを講師に迎え、基調講演を実施した。さとうさんは地元を題材にした自身の歌などを交えながら、震災後のようすなどを語った。その後は、女将たちが4つに分かれて分科会を実施。従来、テーマをそれぞれ設けて実施してきたが、今回は震災後の取り組みなど女将たちが話しをしやすいように、テーマを設けずに語り合った。特別に、第1分科会は報道関係者も傍聴ができるように配慮し、女将たちの経験や心境を広く伝えた。また、各分科会会場には、地元紙・河北新報が所有する被災地の報道写真も置かれ、震災時の惨劇を伝えた。
夕刻からは来賓や協賛スポンサーを交えての懇親パーティーが華やかに開かれ、約230人が出席した。
7月3日に宮城県仙台市のホテルメトロポリタン仙台で開かれた「全国旅館おかみの集い―第23回全国女将サミット2012仙台―」は、夕刻から懇親パーティーを開き、約230人が集う盛大な会となった。「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」の登場で華々しく幕を開け、仙台への歓迎の意を表し、会場全員で伊達の勝ち鬨をあげた。
来賓の国土交通省東北運輸局・清谷伸吾局長は「東日本大震災発生時は、東北の旅館の女将さんたちは自らの命を顧みず、多くのお客様の命を助けた。その後はライフラインも整わないなか、避難者を受け入れ一緒に苦労をされた。これは、安心・安全を含めた究極のおもてなしの心を日ごろから考えられておられた結果。恐らく、ここにいる全国の女将さんが一生懸命考えておられ、同じ事態になったら同じように対応されると思う。しかし、東北の女将は実際にそれを体験された。いい所や改善すべき点など、この具体的な体験をここにいるすべての女将さんが共有してほしい」と呼びかけ、「旅館そのものが観光資源。安心・安全を含め、日本全体で旅館の魅力を一層高めてほしい」と強調した。
宮城県の村井嘉浩知事は、県の観光PRキャラクター・むすび丸とともに登壇。村井知事は「来年、宮城県単独でデスティネーションキャンペーンを実施するが、福島県や岩手県、山形県など県境の他県の市や町にも入っていただき、他県への来訪も呼び掛けたい。観光は、共存、共栄の考え方が大切だ」とし、「力を合わせ、笑顔が絶えない日本の観光地をつくっていきましょう」とあいさつした。
続いて、来賓による鏡開きが行われ、日本酒造組合中央会の岡本佳郎副会長が「震災で、我われの蔵元も大きな被害を受けたが、皆さんのご声援でなんと出荷量が16年振りにプラスに転じた。これからも応援をいただきたい。日本酒で乾杯」と杯を上げた。
開宴後は、読売新聞東京本社販売局総務の村松光雄氏が後援企業としてあいさつしたほか、衆議院議員・東日本大震災特別復興委員長の古賀一成氏、全国旅行業協会の二階俊博会長(衆議院議員)が登壇。二階会長は「仙台といえば、誰もが憧れる素晴らしい地域。災害から一生懸命立ち直ろうとがんばっていることをうれしく思う。我われもともに努力をし、世界の国々に日本は復活したといえるようにがんばろう」と力を込めた。
今回は、従来のスタイルから変えてコース料理のパーティーだったが、会場内には東北の名物として秋田のきりたんぽと岩手のひっつみ汁、青森のけの汁、仙台の牛タン焼も並んだ。
最後は、仙台に伝わる「すずめ踊り」も披露され、参加者を明るく送り出した。
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≪南三陸・松島エキスカーション、被災地を視察≫
「“防災のモデルのまちに”」
全国女将サミットの翌日は、任意参加の被災地視察「南三陸・松島エキスカーション」が行われ、約30人の女将が参加した。津波の被害が大きかった宮城県・南三陸町を、ガイドサークル汐風の菅原清香さんの案内で主にバスの車窓から見学した。参加者たちは菅原さんの話を全身で受け止め、目の前に広がる被災地を時折涙を浮かべながら静かに見つめていた。
汐風はもともと観光ボランティアガイドのサークルだったが、東日本大震災後は全国から訪れた人々にこの悲劇を正確に伝えるため、震災の語り部として活動している。
現地では菅原さんらの活動に反対する声もあるが、菅原さんは「誰にもこんな目に遭わせたくない。人ごとではなく、自分たちの所でも起り得ると災害に関心を持ってほしい。反対の人もいつかは分かってくれる」との信念で、活動を行っている。
菅原さん自身、家族が未だ行方不明で複雑な胸中を抱えるなか、それは生半可な気持ちではない。そこにあるのは「同じ苦しみを味わってほしくない」との強い想いだ。
最後に菅原さんが「皆さんも何かの時には命だけは助かる方法を考えて下さい。私たちも活動を通し、全国のモデルとなる防災のまちになるように、復興に向けて頑張っていきます」と話すと、参加者から心のこもった拍手が送られた。