「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(163)」 江戸・東京を象徴する玉川上水(東京都羽村市)
2018年8月26日(日) 配信
厳しい暑さの7月下旬、玉川上水の羽村取水堰を訪ねた。玉川上水は、かつて江戸市中に飲料水を供給した歴史的上水道であり、1653(承応2)年に、羽村から四谷までの全長43㌔が開削された。羽村で多摩川の水を取水し、武蔵野台地を延々と東進、四谷大木戸に設けられた「水番所(水番屋)」を経て江戸市中へと分配された。江戸幕府が開かれる前の1590(天正18)年に建設された神田上水とともに、我が国の二大上水と呼ばれる。
取水堰の仕組みは、17世紀に開削された当時とほとんど同じである。取水堰から玉川上水土手の約1㌔の間は、今でも桜の名所であり、季節には多くの見物客が訪れる。上水道だけでなく、18世紀以降は、武蔵野の新田開発のために、野火止用水や千川用水など多くの分水(用水路)が開かれ、武蔵野の農業生産にも大きく貢献した。
現在の玉川上水は、取水された水の大部分が、取水堰の下流500㍍にある第3水門に設置された埋設鉄管で、狭山湖の山口貯水池、多摩湖の村山貯水池に送水され、東村山浄水場で東京都の上水道源として利用されている。残りの水は、さらに下流の玉川上水駅(西武拝島線・多摩都市モノレール)付近にある「小平監視所(旧小平水衛所)」から東村山上水道と農業用水である新堀用水に送水されている。この小平監視所が、かつては野火止用水の分水地点でもあった。
小平監視所より下流は、かつては新宿区淀橋浄水場まで多量の水が流れていたが、1965年の淀橋浄水場の廃止に伴い送水を中止、その後長い間、空堀状態となっていた。しかし東京都の「清流復活事業」により1986年以降、多摩川の2次処理水を放流している。古い樹木が茂る中を、かつての玉川上水が流れる風情も復活した。なお、羽村取水堰から浅間橋までの開渠部を主に、2003年には国の史跡にも指定されている。
玉川上水本流の流域には、取水堰のある羽村市はもとより、福生市、昭島市、立川市など9つの市と、杉並区や新宿区など4つの区がある。ここから分かれる分水を含めると多摩エリアの大部分と野火止用水など埼玉県の一部も網羅している。400年近くにわたって江戸・東京の水を供給してきた玉川上水の物語は、それ自体が、とても魅力的である。
東京都は文化庁の日本遺産がまだ1つも認定されていない。東京を象徴する物語は数多くあると思われるが、これほどの歴史的価値と地域的な広がりをもった資源は他に類を見ない。
上水沿いには優れた農産品も多く、「用水の駅」のような集客施設や、水辺のお洒落なカフェやレストランなどができれば、観光面からみても大きなポテンシャルとなる。現在は第3水門から先は水道水の取水はなく、今年から始まった琵琶湖疏水通船事業のような、抜本的な活用も期待できる。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)