「街のデッサン(209)」友達猫の悲話 マタイ伝
2018年9月8日(土) 配信
昨年の夏のことであるが、鎌倉の私が暮らす極楽寺からよくテレビの舞台に使われることで人気のある「坂の下」という地域に下っていくルートを、いつものように散歩をした。極楽寺の高台からはいくつかの散歩ルートを設定しているが、稲村ケ崎に降りて江の島の遠景が望める海岸沿いコース、西田幾多郎の住まいのあった山側のコース、それに江ノ電の極楽寺駅裏になる月影地蔵に向かうコースと、多様である。しかし、坂の下の住宅地が密集する路地の多いルートを割合に愛好するのは、その住宅地の1軒に愛嬌のある猫が玄関わきで転がっている姿に出会える期待があるからである。
その日も坂の下コースに足を向けたのであるが、くだんの家の前に差し掛かると、ちゃんと私を待ち構えるようにいた、いた。しかも、ブロック塀の天辺に足を跨ぐようにして寛いでいるのである。「やあ、今日は暑くてかなわないのでこうやってブロックを跨いで涼んでいるのさ」と彼はニャアニャアといっているのであるが、意味はそんな内容であろう。そのいかにも猫おじさんスタイルの寛ぎように思わず笑ってしまった。近づいて行っても逃げもせずに頭を撫でさせてくれた。大きなあくびをし、私を仲間と信頼しているようで嬉しかった。茶斑の和猫で、確かな血統を誇るほどでもなさそうだが、人生を哲学的に楽しんでいる風が気に入った。さっそく彼の名前を考えたが、そうだ「マタイちゃん」にしようと自然に浮かんだ。イエス・キリストの弟子マタイは「神の賜物」の意味を持つそうだが、そんな大そうなものではなくただ塀の跨ぎ方が絶妙だったからである。
先日、久しぶりで路地コースの散歩を楽しんでいるとマタイちゃんの家の前で、飼い主のママと一緒に居るところに出会った。マタイちゃんはやはり塀の上で寝そべっている。
マタイちゃんのママには初めてお会いしたので、本当の名前を聞いてみた。「貰いに行った帰りに、車のボンネットの中に入り込んで苦労して引っ張り出すと、『ミュー』と泣いたんで、名前はミューですよ」と教えてくれた。続けて「この子は8歳になったんですが最近すっかり縄張りを無くしちゃってね、家の前と目の前の林しか行けないんです。体の小さな他所猫に喧嘩で負けてしまって」。それを聞いていたマタイちゃんは、いたたまれず塀から降りて玄関に引っ込んでしまった。玄関の奥でしきりに懺悔しているマタイちゃんを、私は気の毒に思えてならなかった。
(エッセイスト 望月 照彦)
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。