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「提言!これからの日本観光」 「産業観光」とまちづくり

2018年9月17日(月) 配信

舞鶴赤れんがパーク

余暇ツーリズム学会が文化庁、舞鶴市などの後援のもと、このほど舞鶴市で「観光地域ストーリー研究会」を開催し、筆者も参加した。

 明治中期、近代国家として列強に伍する防衛力の整備が国策として進められた。横須賀、呉、佐世保、舞鶴の4地域が地勢、後背地の状況から対象に選ばれ海岸鎮守府が置かれた。鎮守府は多くの艦船の母港となり、造船の製造、補修のための大規模な工廠をはじめ、そこで働く兵員、工員などの人々の生活を支える交通インフラや住宅、厚生施設などが必要で、その性格から、新(軍港)都市ともいうべきまちづくりが進められた。海岸には日本の近代化を象徴するさまざまな軍需産業、交通施設が集積された。これらの多くは現在、産業遺産となり、「日本の近代化の躍動が体験できるもの」として国の〝日本遺産〟に認定された。

 舞鶴市東地区では、1901年、鎮守府開設を機に海側には軍港施設、工廠などが、山側に操車場をもつ東舞鶴駅が立地、ここから沿岸地域へ臨港線も建設される。そして、この間に近代的都市計画による住宅、商業地域の造成、水道などの都市インフラの整備、格子状の街路に囲まれるコンパクトな港湾産業都市が短期間で整備された。

 このような新しいまちづくりが短期間に進んだのは、緊急国策として半ば強制的に進められたからである。完成後、軍港としての秘密保持のため、立入り、写真撮影も一部禁止され、新しい地図も非公表、戦後、引揚港として知られるまで東舞鶴港一帯は訪れる人も稀な地域でさえあったという。しかし、舞鶴市は港湾産業施設などの立地が進んだため、(交流)人口が急増した。(舞鶴市の人口は戦時中兵員の増加徴用、動員された工員で20万人近くに膨れ上がったと聞く)。まさに、産業活動による(交流)人口増大がまちづくりの原動力となったことを示している。これからは「観光」(とくに産業観光)による交流人口増を新しいまちづくりの動機とする必要がある。観光客を迎えるため、観光、交通インフラの整備などが求められ、これがまず、ハードのまちづくりの原動力となる。また、舞鶴ではすでに旧海軍工廠施設から転換した施設などの「産業観光」が盛んである。「産業観光」はその性格上、官民とくに住民、企業など多くの関係者の連携協働で進める必要がある。この推進体制は、即まちづくりの推進母体となって「産業観光まちづくり」が進む、また「産業観光」を持続的観光とするためにもこの協働体制が大きい役割を果たしており、「産業観光」推進とまちづくりは絶妙な相互補完、依存の関係にある。さらに、ソフトのまちづくりも求められるが、これも観光で培われた住民の「もてなしの心」の共有が前提となろう。このような「産業観光」推進による地域再活性化への努力が即市民参加の新しいまちづくりの原動力となることを、今回の勉強会で実例に接して改めて確認することができたように思う。

須田 寛

日本商工会議所 観光専門委員会 委員

 
須田 寬 氏

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