【震災から2年 現地レポート 4】〈南三陸ホテル観洋 女将・阿部憲子さん(あべ・のりこ)に聞く〉
全国から集う働き手に新風を感じて
あの日から2年が過ぎた。普段は視察を中心に住民への見舞客などでにぎわうホテル観洋には、この時期、三回忌のために訪れる人々の姿が目立つ。日曜日でも満館だ。南三陸町全体の復興はまだ遠い。しかし、町の一部であるホテル観洋では、自分たちでできることを次々に取り入れ、前進している。
<取材・文 ジャーナリスト 瀬戸川礼子>
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≪◆ホテルスタッフが被災地を案内する語り部バス≫
毎朝8時45分になると、ホテル観洋から町へ向けたマイクロバスが発車する。甚大な被害をこうむったエリアを60分かけて巡る「語り部バス」(1人500円)だ。自分の目で景色を見て、感じて、語ってもらうために今日も走らせている。
運転手と案内役は観洋のスタッフ。8人が輪番で行っている。波の高さなど数値は統一しているが、説明内容は各自の体験に委ねている。参加者は冬は30人くらい。夏季や観光シーズンには100人にのぼり、バスを3台出すこともある。当初は、予約がなければ運休するつもりだったが、これまで走らせなかった日はない。
朝の忙しい時にスタッフを取られるのは厳しいはずだが、「震災直後から風化の危機を感じていました」という女将の阿部憲子さんを筆頭に、「語り継いでいこう!」と共通の志で行われている。自分たちだからこそできることでもあるのだ。
実は、南三陸町観光協会では「学びのプログラム」として10人以上から運行する視察バスが人気を博している。
しかし、個人客が視察する機会は少なかった。個人がタクシーを1時間利用するのは負担が大きく、ホテルから出ずに帰ってしまう人もいた。そもそもタクシー車両が流されて不足しているうえ、語り部タクシーとしては商品化されていない。
そこで、ホテルでバスを出すことにしたのだ。阿部さんは語る。「お客さまのようすからも必要性を感じました。タクシーを手配する際に行き先を尋ねると、言い難そうになさるのです。『被害の大きい場所を見たい』とは言えないんですよね。でも語り部バスがあれば、気兼ねなく現地を見ていただけます。お客さまには360度の景色を実際にご覧いただいて、風化しないために語り継いでいただきたいのです」
語り部バスを始めるに当たっては勉強会を重ねた。試運転では地元のシニア語り部や観光協会のスタッフにも乗ってもらいアドバイスを得た。双方は競合ではなく、互いに南三陸町の現状と未来を伝える同志なのだ。観洋の語り部バスを降りた後、改めてタクシーを呼び、30の仮設店から成る「南三陸さんさん商店街」へ足を伸ばす人もおり、それぞれが補完し合う状況といえる。
参加した人からは、「やっぱり自分の目で見ないとわからない」、「参加しやすかった」との声が挙がり、来館のたびに2度3度と乗る人もいる。
渡邊陽介ネット販売係長(30)は、案内人の1人。1年経って、話す内容が変化してきたという。「はじめは説明が多かったですが、いまは人の思いや未来の話、役立つ話をします」。
渡邊さんが語り部バスで伝える「戸倉小学校」の話を紹介しよう。
震災の2日前に大きな地震があった。子どもたちは普段通り屋上に避難したが、その後の職員会議で若い教師が提言した。「本当に屋上でいいんですか?」。学校側はその日のうちに、もっと安全な避難場所として高台の五十鈴神社を定める。翌日、つまり震災の1日前に神社で避難訓練もした。そして当日。波は、屋上のさらに5㍍上まで到達したが、高台の神社に逃げた生徒と教師は全員無事だった。
「若い先生の勇気ある発言は素晴らしい。当たり前のことを『これでいいのかな』と気付く大切さを教わります」
渡邊さんは続ける。「辛い話は、自分的にはもういいかなって感じです。勉強になったり、元気を与えられることを語りたい」
一番明るい話題は渡邊さん個人の話だろう。「昨年6月に第二子、男の子が生まれました。仮設からも新しい命が生まれて育っていくんだということを伝えたい」
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≪◆各地から集ったスタッフがもたらす新しい風≫
若者の流出が課題の南三陸町。ホテル観洋も求人が集まらず、創業40年で初めて、人材派遣会社に依頼することとなった。地元の雇用に貢献できないジレンマがあろうが、思いがけないメリットも生まれた。「自らここに来る人は前向きなんですね。新しい風を感じています」(阿部さん)。
今年1月に沖縄からやってきた当間菜津美さん(25)は、地元で接客業をした後、ホテル観洋に就職した。「沖縄は被災地から一番遠いのですが、できることはないかなと思っていました。もともとホテル志望でしたし、今回ここに来られてよかったです」。震災後、当間さんのように東京、神奈川、新潟、奈良、大阪、広島と、遠方から働きに来てくれる人が増えた。
彼らが持つ南三陸町の印象は共通している。「一緒に働く人の中にたくさん被災者の方々がいるのに、思った以上に明るくて、自分のことを気遣ってくれること」だ。「もっと過酷なのかなと思っていましたが、寮もありますし、人は温かいですし、不自由はありません。雪も気持ちよくて好きなんです」
顧客に震災のことを尋ねられると、当事者ではないことに引け目を感じるそうだが、「沖縄から来ました」という言葉が新たな会話を生んでくれる。「以前はマニュアル的に接客していましたが、いまは人の心に寄り添うことを意識します」と当間さん。
女将の阿部さんは新しい風を素直に喜ぶ。「社員の表情が明るくなりましたね。仲良しが都会に出てしまって寂しい思いをしている社員たちにとって、遠くから働きに来てくれた方々は本当にうれしい存在なんです」
前出・渡邊さんも、「外の目線を持った人が来てくれている」と歓迎する。
最近、「わくわくミーティング」なる企画会議を始めた。従来からの5人と、外からの新しいメンバー5人で若手中心。女将の阿部さんが隊長だ。「わくわくすることをホテルでやりたいね」が合言葉。
外からのメンバーはこんなことを口にする。「朝、起きて雪だとめちゃめちゃわくわくする!」、「雪合戦しました!」。何年も南三陸に暮らすスタッフには考えも寄らないが、「そうか、雪にわくわくするんだ。お客さまもわくわくしているのかもしれない」と視野が広がる。「近々、雪合戦をやりますよ。まず、スタッフがわくわくすること。すると、お客さまもわくわくしてくれると思うんです。新しいメンバーのお陰で、当たり前に思っていたことが新鮮に思えてくる。ありがたいです」(渡邊さん)。
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≪◆これまでにない利用の仕方が増える。多様化するホテルの役割≫
阿部さんは、ホテルの使われ方が多様化していると感じる。たとえば、仮設住宅を見舞う人が観洋に泊まる。あるいは別の被災地で仲良くなった被災者とボランティアが休暇で観洋に集う。朝のお見送りで手を振るスタッフの中に、地元住民が混じっている。
「いままでなかった光景ですね。住民の方が『遠くに親戚がたくさんできたみたい』と言うのを聞いて、心が温かくなりました」(阿部さん)
建物が消え失せ、困り果てている地域に観洋があることで、食事の場、宿泊の場、集う場、語り合う場が提供できる。
「ビジネスだけではない社会的な役割を担っていけたらと思いますし、被災地だからではなく、商品サービスで選ばれることを大切にしていきたいです」
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あれから2年が経ち、阿部さんは依然として休みなく働いている。芯の強さには頭が下がるばかりだ。
現状を嘆くよりも前に進む。すべての物事に陰と陽が存在するなら陽を見つめていく。リーダーの心根の持ちようが未来を決めるとすれば、ホテル観洋の向かう先は明るいと決まっているようなものだ。