〈旬刊旅行新聞10月11日号コラム〉客との会話 語り始めのひと言とタイミングが命
2018年10月11日(木)配信
さわやかな秋晴れの休日に、横浜まで洋服を買いに行った。
根がズボラなので「本当にこだわりたいもの以外はこだわらない」のだが、今回は必要が生じてちょっと変わった秋モノのジャケットを買いに行こうと思い立ったのだ。
「さあ洋服を買いに行こう」と意気込む一方で、一抹の不安がよぎってしまう。それは、店員が執拗に話し掛けてくる積極販売の手法が苦手だからだ。
店舗に一歩足を踏み入れた瞬間に、自分が獲物になった気分になる。「どのくらいの価格の店なのだろう」と入り口近くに並ぶスーツの値札を指で摘まんで見ていると、「今日はスーツをお探しですか」と声を掛けられる。「ええ、まあ」などと曖昧に答えると、想定予算をはるかに超えるスーツを持って来て、「今年はこの色がどうで、生地がどうの……」などと始まる。シャツやネクタイ、コートなど買う予定が無いものも自由に眺めてみたいと内心思いながらも、そんな客の「遊びの時間」を一切与えてくれない店がほとんど。
実際、今回の洋服選びもそうだった。何軒かのお店を訪れたが、店員との不毛な会話によって疲れてしまい、結局何も買わなかった。
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手ぶらの帰り道、お腹が空いているのに気づき、寿司が食べたくなった。目についた店は回転寿司の体裁を取りながらカウンターの中で寿司職人が握るスタイルの店だった。美味しそうな店だったが、寿司を注文するたびに、職人と会話を交わさなければならないことが煩わしく感じ、足が前に進まなかった。それで、もう少し先にあるパネルで選べる回転寿司店に入った。誰とも会話を交わすことなく食事ができる回転寿司店のありがたみを改めて認識できた。
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客は我がままで、人恋しい時もあれば、疲れてしまい、あまり人と話をしたくない時もある。どの業種であれ、お客のようすを見ながら臨機応変に対応するのがベストだと思うのだが、洋服店の場合、そうはいかないのが残念である。
観光地を歩いていると、道を歩くお客に積極的に声を掛け、半ば強引に試食を迫る店もある。繁華街でよく目にする居酒屋への呼び込みに似ている。
旅館のおもてなしは、人の温もりがあって、旅で疲れた体に心地よさを与える。一方で、私自身も宿に着くと、「誰とも話さずに1人でのんびり過ごしたい」と感じることもある。仲居さんが客室でお茶を淹れながら「お客さん、どこから来られました?」と聞かれることも多々あるが、会話の糸口としては、あまりに芸がなく、具体的な質問は客に疲労を与えてしまう。
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酒を飲みながら議論するのが嫌で、最近は「1人で静かに酒を飲みたい」と思うことが増えてきた。1人で飲むのが好きだが、本当に1人で飲むのは虚しい。そんな夜には、適度な雑音が聞こえるバーで飲むのが最適だ。安っぽい店は「お客さん、初めてですか」「お仕事の帰りですか」とすぐに聞いてくる。1流と2流の違いは、客に話し掛ける頃合いを理解しているかどうかだ。
バーテンダーにとって、語り始めのひと言と、語り掛けるタイミングが命である。寡黙な客が3杯目のスコッチを頼んだときに、店の入口を見ながら静かに、「今夜もまた雨が降っていますね……」などはどうだろうか。
(編集長・増田 剛)