【特集№506】北海道胆振東部地震の現場対応 有事から平時への切り替えは
北海道では今年に入り自然災害の脅威にさらされた。胆振東部地震が発生した9月6日未明、北海道全域が停電し、公共交通機関は麻痺した。国内外の観光客は足止めを受けることとなり、不安な1日が始まった。すでに発災から1カ月半以上が経過し、北海道はほとんどが元の元気な姿を取り戻している。今回は現場レベルで対応してきた人らに、改めて発災当時になにを行っていたかを取材した。
【平綿 裕一】
新千歳空港は6日の地震により終日閉鎖し、観光客は動けなくなった。千歳観光連盟では、訪日外国人旅行者らの避難者対応や地域観光の状況を発信するなど、災害時における取り組みを迅速に行った。同連盟の事業推進部観光推進グループ大宮裕輔マネージャーに、発生時の初動について振り返ってもらった。
□災害発生時の初動は 前向きな情報発信心掛ける
6日午前、大宮氏はいつも通り出勤した。入居しているビルは薄暗かった。非常用電源はあったが、必要最小限の電力しかなかった。事務所に大きな被害はないが、併設する観光案内所などを臨時休業にした。午前のうちに判断し、Webサイトで日本語と英語で発信した。昼までには電力が切れ、真っ暗になった。
午後、市の観光スポーツ部から「市内に観光客向けの避難所を設置する。対応してくれないか」と要請があった。空港が閉鎖して観光客は行き場を失くしていた。大宮氏ともう一人英語とタイ語を話せる職員を連れ、2人で外国人旅行者の対応に向かった。
現地に着いたあと、避難者を乗せた第1陣のバスが到着した。その日のうちに300人ほどが避難所に入った。ほとんどが外国人旅行者だった。ただ、避難者名簿は日本語で作成されていたため、各項目を英訳した。記入項目は氏名や性別、住所など。避難所は薄暗く記入しづらいうえ、受付待ちの列が長くなっていた。そこで大宮氏は迅速に対応するため、住所欄には国籍を記入してもらうよう記入欄に上書きした。簡単なことだったが、見直す必要があると感じた。慌ただしく過ぎ、夜10時を回っても対応に追われていた。
7日は、前夜に停電が一部復旧したため、事務所は通常通り営業した。併設する案内所も営業を再び始め、観光客が多く訪れた。スマートフォンを充電したいとの声があり、ビル管理者の判断でビルのコンセントを開放した。フロアのいたるところに座り込み、充電する姿が目立った。
一方、千歳エリアに一部営業できない施設があった。各施設の営業状況を調べ、客からの問い合わせに備えた。一つひとつに電話して聞き取った。地元密着型の観光案内所だからこそ、すぐに電話して確認できた。
施設の情報はインターネットに載っている。しかし、すぐに情報は更新されない。直接聞き取らなければ正確性に欠けてしまう。情報発信時に気を付けるべき点だった。
8日時点では停電もほぼ改善し、空港は国内線、国際線ともに復旧した。避難所には情報を英訳したものを貼り出した。避難者は市が手配したバスで、避難所から最寄りの駅に送った。……
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