「街のデッサン(211)」バルカン半島への誘い 外交官の書いた1冊の著作から
2018年11月5日(月) 配信
バルカン半島を旅したいと思った背景には、私個人としての長い歴史があった。
まだ若かりしころであるが、詩人のミハイル・イサコフスキーが作詞した「バルカンの星の下に」というロシア民謡があって、よく口ずさんでいた。黒い瞳の恋人と故郷を、戦場の兵士が懐かしむ詞であったから、青春の感傷にはピッタリの歌だった。ドナウ川の彼方にあるバルカンとはどんなところなのか、想いを馳せたものだったが、その回答は1冊の岩波新書が与えてくれた。芦田均著、 1939(昭和14)年発刊の「バルカン」だった。
そう、芦田均と言えば戦後の日本の、短期間だが内閣を率いた総理であった人物だ。その芦田均がなぜこの本を第2次大戦が始まった年に書いたかと言えば、彼は戦前に外交官でトルコ大使館に勤めていたからである。芦田が外交官であったしばらくあとに、リトアニアの領事館では有名な杉原千畝が6千人のユダヤ人を救うために活躍していた。杉原も有能な正義心のある外交官であるが、一方では本国にドイツが侵略戦争を始めたヨーロッパから重要な情報を送る「諜報官(インテリジェント・オフィサー)」の役割を果たしていたという。従って、芦田の「バルカン」も地政学的な視点でのバルカンの分析的な著作ではあるが、私には文学味豊かな作品に思えた。芦田は、実はトルコ大使館赴任中に「海峡問題(ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の通航制度)」に注目して論文をまとめ、東京帝国大学から法学博士を授与されている。それが下敷きになって、岩波新書になったのであるが、この本の文体はリリシズムに富んだ感性の本とも思える。
最近(2017年)出された、イギリスの歴史家マーク・マゾワー著の同じタイトル「バルカン」の序文で村田奈々子東洋大学教授は、芦田均による著作は「民族の多様性、地形上の中心の欠如、政治的統一の困難、(中略)結果的にヨーロッパの進歩から取り残されたバルカンの〝後進性〟という、バルカンを特徴づける常套句である」としている。確かに、分析的には現在においても常套的な中身であろうが、そこに表現されたバルカン半島の諸国は、行ってみたいと思わせる歴史や文化に溢れた表現に満ちている。「バルカンの既往」という節では「その昔ホーマーという男が、多島海の岸をさ迷いながら、人生を詩に歌った」という文章から展開する。こんな文章を見ると、誰もが自分もホメロスになりたいと思うのではないか。私のバルカンへの旅は、そこから始まった。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。