無個性でいいのか ― 作り手の意地を見たい(2/1付)
「最近の若いオトコのコは街で走っているクルマを見ても車種の判別もつかないらしい」というようなテレビ番組を見たことがある。「俺たちが若いころは、日産スカイラインや、マツダRX―7には憧れたものだ」と昔を懐かしむ大人のオトコたち。「もっと、夢を見なきゃだめじゃないか。若いオトコのコは不甲斐ない」という歯がゆい思いもあるだろう。
しかし、実際、今街を走っているクルマを見ても、どこのメーカーの何という名前のクルマだか、さっぱりわからない。そして知りたいという気持すらも起らない。丸っこくて、色もクリーム色だか、はっきりとしない色で、近づいてロゴマークを見るまで区別の仕様がない。本当にこれでいいのだろうか?
自分たちが若いころは、上の世代が個性的な、オトコ心をくすぐるデザインのクルマを作ってくれた。しかし、自分たちがものづくりをする世代になったときに、どこのメーカーかも判別できないような、気の抜けたクルマしかつくれないで、「最近の若い世代がクルマに関心がない」もないだろう。どこかのメーカーが作って売れたものを真似てばかりいるから、次第に似たようなものになり、無個性化してくる。ものづくりは細部にこそ魂が宿るものなのに、細部があまりに粗末なデザインばかりである。
これは、多くの産業や業種にも当てはまる。旅行会社のツアーだってそうだろう。「若者が旅行に行かない」と業界全体で頭を悩ましているが、どこかの旅行会社が当たったツアーを「一時的に売れる」という理由だけで、そのまま安易に真似したことが、やがてどこの旅行会社の主催なのかわからない類似ツアーばかりが溢れるようになった。哀しいことである。
旅館だって同じである。どこかの宿がリニューアルしてお客が入ったからといって、似たようなデザインを宿に持ち込んでは、自分たちのDNAを薄めてしまうだけではないか。どうして「絶対に、ほかの宿と似たような宿にしない」という決意が湧き出てこないのだろうか。
洋服だってそうである。ユニクロのような大量販売品が売れると、似たようなデザインのものが横溢する。ファッションの独自性が次第に失われつつある。売れるものばかりを追わず、“作り手の意地”を見たいものだ。
(編集長・増田 剛)