東北旅行雑感 ― 宿の「温かみ」を再考(9/1付)
この夏、東北に行ってきた。東日本大震災が起こる前、家族で東北旅行に行ったのだが、自然の美しさや、時間のゆるやかさ、田園風景のやさしさ、出会った人たちの温かさなどが忘れられずに、再び東北を訪れた。
遠刈田温泉、蔵王温泉、鳴子温泉、玉川温泉、後生掛温泉、蒸ノ湯など、東北を代表する幾つかの素晴らしい温泉を堪能し、改めて東北と温泉文化のつながりの深さを知った。
津波の被災地も辿った。震災から1年半が経とうとするなか、未だ復興どころか、被災した建物がそのままになっているところも多く散見された。日本は内陸部でない限り、どの地域にも津波の危険性はある。津波が押し寄せた場合、「どこに逃げたらいいのか」の答えは、被災地の何もかもがなくなった更地に佇めば分かる。しかし、私たちが訪れた陸前高田市の「奇跡の一本松」の付近には、安全な高台が近くにはなく、高齢者などは逃げることが不可能だったのではないかと思う。全国の市町村の首長、議会の議員、まちづくりや、防災関係の担当者の方々には、ぜひ被災地を訪れ、今後いつ訪れるか分からない津波などの対策を考えるきっかけにしてほしいと思う。
今回の旅行では、東北の湯治宿に幾つか泊まった。以前、現代の旅行者の視線から外れてしまったボロ宿に泊まることで、「旅館の本質を問いたい」と書いたが、想像以上に新鮮な世界が見えてきた。
古い木造建築の湯治宿の食堂で、あまり期待もせずに夕食を食べたのであるが、手作りの料理の美味しさに感動すら覚えた。前日まで2連泊した大型旅館の料理の酷さと比べていたのかもしれない。その大型旅館は初日と2日目の夕食メニューを変えていたが、2日目は「ベンチの控え選手」というような代物だった。連泊客の心理としては、むしろ2日目の方に何か新しいメニューがあれば、好印象を受け、再訪したいと思わせるものなのに、少々残念だった。
建物は古かったが、湯治宿の料理の方が、温かみがあった。宿を訪れた遠方の旅人に、温かい作りたての料理でもてなすという宿の真髄が、守られていた。最先端のスタイルはカッコイイ。だけど、古くから残る宿の「温かみ」を再考するのも大切だ。湯治宿には、若き旅館経営者にも学ぶべきものが多いと思う。
(編集長・増田 剛)