test

旅行需要の平準化と休暇 ― 個人の融通性が必要

2013年5月1日
編集部

 小さなころから私は、みんなが真面目に勉強をしているときには無性に遊びたくなり、みんなが遊んでいるのを目にすると、不思議と勉強したくなるという、なんとも可愛げのない困った性格をしていたが、これが大人になっても、まったく変わらないのはどうしたことだろうか。仕事に関しても同じ傾向にある。平日は「釣りに行きたいなぁ」とか、「離れ小島で隠棲したい」などと妄想ばかり働かせているかと思えば、ゴールデンウイークのように、テレビで観光客が遊園地や景勝地でごった返している映像を見たりすると、やにわにムクムクと労働意欲が沸き、パソコンの前に座ってなにやら仕事を始めたりする。世の中にはこういう人間もいるのだ。だから、世間が勤勉に働いている平日にたまさか休暇を取って、レストランで食事をしたり、小さな旅を楽しんだりするのは、まさに天国である。ちょっとした“罪悪感”や“後ろめたさ”という適度なスパイスが精神に好影響を与えてくれる。混雑することも少ないし、場合によっては貸切状態という特権を味わうこともできる。もはや日曜日では“燃え上がり感”が少ないのである。

 人は基本的に他人の働く姿を見るのが好きである。一生懸命働く人を見ながら飲む酒は極上の味がするが、反対にチンタライチャイチャ働いている輩を見ながらの酒は不味い。繁盛店はきっとその心理を心得ていて“休み”の客に働く姿を効果的に魅せているのであろう。

 旅行需要の平準化と、休暇のあり方は、観光業界にとってさまざまな場で議論がなされてきたし、今後はもっと重要な問題になるだろう。数年前、観光庁は日本を幾つかの地域ブロックに分けて、春と秋に、少しまとまった休暇をずらして取得させる休暇改革案を出した。しかし、産業界や銀行、学校関係者などから大きな賛同を得ることができなかった。強制的に国から日にちを決められた休暇は、融通が利かず、多方面で軋みが生じることが予想された。休暇に最も必要なのは、個人の融通性であると思う。理想的な休暇のあり方は、労働者の権利である有給休暇の取得率の向上を除いては他にない。GWのように国民的な一斉休日も必要だが、それ以上に、個人が柔軟に休暇を取れる環境整備は避けられない。国は本腰を入れる時期にきている。

(編集長・増田 剛)

いいね・フォローして最新記事をチェック

PAGE
TOP

旅行新聞ホームページ掲載の記事・写真などのコンテンツ、出版物等の著作物の無断転載を禁じます。