繁盛旅館とそうではない旅館 ― お客を見ていますか?
お客がたくさん訪れる宿と、そうでない宿の違いは一体どこにあるだろうと考える旅館経営者は多いのではないだろうか。お客があまり来ない宿では「うちは時代遅れの大型団体旅館だから」とか、「立地条件が悪いから」とか、「建物が古いから流行らない」など、さまざまな負の理由が思い浮かぶかもしれない。しかし、繁盛旅館といわれる宿を見ていると、そんなマイナスの条件はまったく関係ないことに気づく。どんなに不便な立地にあろうと、お客は遠路はるばる訪れるものである。
先日、ある会合で、天皇陛下も宿泊される名旅館を訪れたが、驚いたことに、私たちの円卓は、最初から据えられていたメインの肉料理に一度も火を付けられないまま2時間の宴席は終わったのだった。宴会場には各テーブルに担当のスタッフもいて、そのほかにも別のスタッフが刺身やご飯、デザートなどを持って来ていたにも関わらず、最後までメインの肉料理に火が付いていないことに気づかなかった。つまり、スタッフは誰一人としてテーブルのお客を見ていないのだ。ただ料理を運ぶだけ。これでは「人」を雇う意味があるのだろうか。
本紙で「いい旅館にしよう!」対談シリーズを展開しているが、千葉県の民宿「網元の宿 ろくや」では、お客が左利きと分かると、翌朝の朝食にはお箸などを左手で取り易いように配置する。お客は何気ない配慮に感動してしまう。渡邉丈宏社長は「うちのスタッフは本当にお客様を観察している」と語っていた。このような素晴らしい宿は全国にたくさんあるだろう。
鉄鍋の火くらいなら、自分で付けてもいい。放置するくらいなら、セルフサービスにして、ライターの一つでもテーブルに転がしておいてくれた方がよっぽどいいのだ。一卓すべてのメインディッシュが生肉のまま厨房に戻っていったはずだが、おそらくこの宿では料理長も、経営者も気づかないのだろうなと思い、空しい気分になった。
お客が集まる宿とそうでない宿の違い。それは、「お客を見ているか」に尽きる。どんなに古くても、窓から隣のビルしか見えなくっても、地の果てのような不便な場所でも構わない。ちゃんと自分を気にしてくれる人のいる宿に行きたい。古い栄光にいつまでも胡坐をかいているような宿は、百害あって一利なしだ。
(編集長・増田 剛)