「街のデッサン(213)」世界で最も美しい小さな正教会 オフリド湖の湖岸での聖なる体験
2018年12月28日(金) 配信
一晩の夢をベッドに残して、ホテルの湖畔に広がっている前庭を降りていくと、9月にしては肌に冷たく風が感じられる。糸杉の樹々の間を抜けると、湖面が開けた。
透き通った絹の襞のような波が湖岸に寄せてきて、そこに突き出るような小さな桟橋を洗っている。今、ヨーロッパの有閑階級で話題になっているというオフリド湖。桟橋の先端に出ると、360度の景観が展開し、話題となる価値を知ることができた。
バルカン半島の多くの海岸線に面する村々や、近接した島々は目ざといリゾート開発業者らに買い占められ、プロテニスのジョコヴィッチが結婚式を挙げたというモンテネグロのブドヴァにあるステファン島などはシンガポールのアマングループに村の家々毎買収されて、それらの住宅をつないだホテルになっているという。島のコミュニティ全体をホテルとリゾート施設にしてしまったという構想力をどう評価するのか、難しいところではあるが荒業には違いない。
それらに比べれば、マケドニアとアルバニアに面して面積348平方㍍の内陸のオフリド湖は、まだ荒業氏の手中には嵌っていないのかもしれない。すなわち今の段階で、湖畔に別荘を持つという選択はセンスの良い評価といえるのであろう。
以前から噂を聞いていた教会が、オフリド旧市街につながる岬の先に存在しているという案内はこのツアーの目玉の一つであったが、宿泊するホテルの桟橋から出発する船で湖面から観光できるという手配になっていて、私の参加理由の鍵だった。
迎えに来た数十人乗りの遊覧船は、桟橋を離れるとすぐにマケドニアの民謡だという歌を流し始めた。物悲しい女性の唄う歌は、冷たい風とバルカン半島の国々の苦難の歴史を語っているという歌詞とが奇妙に混ざり合って、船に揺れる私たち旅行者の旅情をも揺するように迫ってくる。
20分ほど乗っていると、岬の先の丘陵に向けて幾つかの教会建築が壇状に見えてきた。その湖面の一番近くに建っているのが聖ヨハネ・カネオ教会である。建物は13世紀に建立されたとされ、マケドニアの正教会様式とビザンチン様式が混交されたラテン十字の平面と美しいドームによって構成されている。
船を降りて徒歩で教会に向かうと、その日は聖ヨハネの丁度生誕祭で司祭が聖水を集った信者に振りかけていたが、その聖水は私の心にも届いて、世界で最も美しき教会を、洗われた心を見開いて眺めていたものだ。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。