〈旬刊旅行新聞1月21日号コラム〉専任の「湯守」がいる宿 職人が大切な湯をしっかりと管理
2019年1月23日(水) 配信
大学生のころ、東京都世田谷区下北沢のボロアパートに住んでいたことがあった。襖に仕切られた畳の部屋が3室あり、梅の絵が描かれてあった年代物の襖を取っ払えば、開放感のある大広間のような空間となった。
私はこの部屋をとても気に入っていたが、一つだけ欠点があった。お風呂がなかったのだ。
このため、小道を10分ほど歩いた先にある銭湯に行かねばならなかった。夜は11時30分までに番台に座ったおばあさんにお金を払わないと入浴できなかったので、アルバイトや飲み会で遅くなった日には、洗面器を小脇に抱え、駆け込んだこともあった。当時でもお風呂がない部屋は少なかった。バブル経済絶頂期でありながら、フォークソングの名曲「神田川」の世界にいたのだ。
いつもはほぼ最後の客として銭湯に入っていたが、あるときあまりの退屈さに「風呂でも入るか」と思い、午後3時ごろの一番風呂に入ったことがあった。天井付近の窓から差し込む光が浴槽の湯面を輝かせていた。清潔な洗い場で体を流したあと、ゆったりと独り占めした記憶は鮮明に残っている。
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この銭湯に通った経験は、私に少なからず影響を及ぼしている。基本的に湯の温度がとても高かった。ある日、客の誰かが水道の蛇口を回して水を入れようとすると、「浴槽のお湯をかき回すと柔らかくなるんだ」と白い短パンで手ぬぐいを額に巻いた銭湯のおやじさんが手に持った桶でぐるぐると湯をかき回した。
すると、不思議なことに熱くて入れなかった浴槽に入ることができた。おやじさんは水を足そうとした客を一瞥し、「あいつは全然分かっていない。天気や時間帯、客の数などすべてを計算したうえでオレがちゃんと温度管理をしているんだ」と、私の方に向かって話し掛けるものだから、おやじさんの目を盗んで水道の蛇口を回すことが、その日以降できなくなった。
おかげで、熱い温泉にも入れるようになった。群馬県・草津温泉の湯畑の近くにある共同浴場「白旗の湯」の47度を超える湯船にも、それほど苦労せずに、首まで浸かることができるのも、ささやかな自慢だ。
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下北沢の銭湯のおやじさんの姿から学んだ最大のものは、銭湯のお湯の管理に情熱を持っていた職人気質だ。全身に汗をかきながら、カラン付近を小まめに洗い流し、浴槽の中に手を入れては浴槽をかき回し、桶をきちんと並べて次の客が不快な思いをしないように、常に気を配っていた。とても古い木造の銭湯だったが、清潔感はどこにも負けないほど保たれていた。
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全国を旅するうちに、温泉の持つ力に圧倒され、日本各地の温泉巡りの旅に全力を注いだ時期もあったが、最近はその熱も少し冷めてしまった。温泉でのマナーが低下していると思えてきたことが大きな要因だ。日本の温泉文化を理解していない外国人旅行者が、石鹸で泡立つタオルを湯船に浸けて洗っている光景や、体も洗わずにそのまま湯船に入る日本人の高齢者などを何度も目にしてきた。
一方で、温泉に愛情を注ぐ専任の「湯守」が今も存在する温泉旅館がある。職人が大切な湯をしっかりと管理しているという意志表示である。いくら泉質自慢の温泉であろうと、目が行き届いていなければ不衛生だ。湯への愛情が強い宿に行きたいと思う。
(編集長・増田 剛)