「街のデッサン(217)」ジェノバでコロンブスに出会った GAFA超える事業フィールドは
2019年5月19日(日) 配信
MSCメラビリア号の船内リゾート生活がようやく身に着いてきた3日目の朝に到着したのは、イタリア・ジェノバの埠頭であった。ここもまたヨーロッパを代表する港湾機能を持つ都市で、金融・交易で栄えていた。船内のレストランでとる朝食は、頼んだハムエッグも普段の3倍ぐらいのボリュームで、それでもしっかりといただいてこれからの都市観光に備える。
ジェノバの中心地区はバスで30分もかからず到着。かつての交易で財を成した富裕層のカラフルな邸宅が並ぶ街区を逍遥し、オペラハウスや市の庁舎の居並ぶ中心広場に至る。中でも目を引いたのはバンクイタリアなどの日本銀行に対応する銀行や民間の経営する銀行の豪奢なビル群であった。ジェノバは、フィレンツェに並ぶ財閥が生み出された都市で、世界の商品交易では港のないフィレンツェに対して優位にあった。
銀行を意味する「バンク」という言葉は、フィレンツェのメディチ家の執務センターで使われていた机を「バンコ」と呼んでいたところから使われるようになったという。今ではオフィッチー美術館としてダ・ビンチやミケランジェロ、ヴォチェチェリィなどのルネサンス時代の名画が所蔵されている建物は、元はといえばメディチ家の事務所で、そこに次々に芸術作品が持ちこまれることによって、とうとう美術館として空け渡すことになってしまったが、名前のオフィッチーだけは後世に「オフィス」として残ることになった。
内陸にあったフィレンツェは、13世紀には毛織物業を中心にした産業を興し、白地を染めてテキスタイルにする高度技術を開発して付加価値を生み出し、莫大な財を築いた。染めの定着材である明礬の権益を独占したのがメディチ家で、飛び抜けた資産を基に銀行業をリードしたが、彼らと競争できたのは港を持つジェノバの財閥たちだけであった。
ジェノバの居並ぶ銀行群の豪華な建物を見ていると、現代の金融システム転換の必然性からして、仕組みのみならずこれらのハードそのものを維持していくことができるかどうか、疑念を持った。金融街を抜けると、なんとそこにコロンブスの生家があった。実に侘しい小さな建物で、コロンブスの履歴の厳しさを感じたが、今こそ新たな未開の情報やデータを超えるアフターデジタル・ビジネス大陸の発見を、すなわちGAFAを凌駕する観光産業をターゲットの1つにした事業創造するコロンブスを、世界のビジネス界が求めているのではないかと思ってもみたりした。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。