米子市観光協会の野島譲会長 退任 33年の観光人生 振り返る
2019年6月13日(木) 配信
□“人と人とのつながり”で観光発展に尽力
鳥取県・米子市観光協会の野島譲会長が、5月下旬に行われた同協会総会をもって退任した。
野島氏は1986年、当時の国鉄から米子市に出向し、同年に実施された「山陰路観光キャンペーン」に従事した。出向期間は1年だったが、本人の希望もあり国鉄を退職。翌年4月に米子市観光協会に採用され、以来32年間、協会職員として米子観光の発展に尽力してきた。2011年からは4期8年間、会長も務めた。
野島氏は出向期間を含め33年間にわたった観光人生について、「主要ターゲットである関西圏からの誘客をいかに行うか。それが一貫したテーマだったように思う」と振り返る。
ゆえに1995年に発生した阪神・淡路大震災では交通網が寸断され、苦しい状況に直面。そのとき、皆生温泉の湯を神戸に持って行き、被災者が喜んでくれたことは、33年間で一番嬉しかったエピソードだという。「国鉄時代は鉄を相手にしていたが、人を相手にすると決断して以来、絆の強さや顔のつながりを大事にしてきた」。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー(大阪市)所属の漫才コンビ、宮川大助・花子さんとの縁もあった。米子でのショーを協会がサポートするかたわら、大助さんが鳥取県境港市出身ということもあり交流を深めた。
2000年に発生した鳥取県西部地震では、被災地を元気づけようとの大助さんからの提案を受け、翌年から10年間にわたり「大助・花子の健康ウォーキング大会」を大山で開催した。
観光のコンテンツづくりでは00年に米子下町観光ガイド、07年に地場産業の現場を訪ねる産業観光ツアーをスタート。どちらも現在、米子観光の定番メニューに育っている。
野島氏は近年協会などが取り組む首都圏からの誘客を念頭に、「インスタなどSNSの時代。人と人という観光の基本はおさえながらも時代にマッチした宣伝、コンテンツづくりが必要。高速道路などで結び付く他地域と連携を強化し、広域での誘客に取り組んでほしい」と協会新体制に向けエールを贈った。
【土橋 孝秀】