「観光革命」地球規模の構造的変化(212) 七夕と星空保護区
2019年7月6日(土) 配信
今年も7月7日に日本各地で七夕祭りが開かれる。七夕は中国の行事が奈良時代に伝わり、日本本来の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれたとのこと。七夕は五節句の1つで旧暦7月7日に行われていた年中行事であったが、明治改暦以降は新暦7月7日やその前後の時期に開催されている。七夕伝説では織女星と牽牛星は互いに恋し合っていたが、天帝に見咎められて、年に一度だけ7月7日のみに天の川をわたって会うことが許された。
私は1945年生まれなので、子供のころには天の川を仰ぎ見ることができた。ところが60年代以降の高度経済成長によって電化生活が急速に進展し、「暗い夜の生活から明るい夜の生活へ」とライフスタイルが大きく変貌を遂げた。とはいえ、日本ではいまだに各地で七夕祭りが開催されており、七夕が大切にされている。
米国では1988年に国際ダークスカイ協会(IDA)が設立されている。美しい星空を電光汚染から現在と未来のために保護することを目的にしている。電光汚染の進んだ近代都市は夜行性動物に大きな影響を与え、人間の健康にも少なからぬ影響を与えている。IDAは2001年から世界の中で美しい星空が守られている「星空保護区(Dark Sky Places)」の認定を行っている。幸い、18年4月に沖縄県の八重山諸島西表島にある西表石垣国立公園が日本で初めて「星空保護区」の認定を受けた。北緯24度に位置することから夜空にある全88星座のうち84の星座を観測できるとのこと。北海道美瑛町や長野県阿智村、富山県立山黒部、奈良県大台ケ原、大分県久住高原なども星空の美しさで話題になっている。
私は今から約40年前にミクロネシアのサタワル島で民族学的調査を行った。その島は電気も水道もない前近代的な島だったので、星空の美しさは筆舌に尽くし難いものがあった。日本は戦後の経済成長に伴って、ひたすら夜の明るさを追求した。いわば夜の電光の明るさは近代化の象徴であったが、その日本で今「星空の美しさ」を評価する動きが生じている。それは日本が「成長の時代」から「成熟の時代」へと変化しつつある証しとみなすことができる。星空保護区をめぐる今後の各地の動きに注目していきたい。
北海道博物館長 石森 秀三 氏
1945年生まれ。北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授、北海道博物館長、北洋銀行地域産業支援部顧問。観光文明学、文化人類学専攻。政府の観光立国懇談会委員、アイヌ政策推進会議委員などを歴任。編著書に『観光の二〇世紀』『エコツーリズムを学ぶ人のために』『観光創造学へのチャレンジ』など。