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〈旬刊旅行新聞8月1日号コラム〉高速道路の旅  単調で無個性な道を“修行”と思う

2019年8月1日
編集部:増田 剛

2019年8月1日(木) 配信

高速道路は人生に似ている

 クルマを利用した長距離の旅では、高速道路を利用することが多い。

 高速道路にも一長一短がある。信号が無く、早く目的地に到着できるメリットは大きいが、デメリットとしてすぐに思い浮かぶのは、通行料金が高く、風景が退屈ということだ。

以前は、神奈川県から実家のある福岡県まで約1200㌔の距離を、しばしば高速道路で帰省していた。途中、兵庫や岡山、広島などの温泉地に寄って1泊するのが楽しみだった。

 若いころは、高速道路に乗ると、限界まで休憩をしなかった。200~300㌔を無休憩で走り続けることも珍しくなかった。クルマを運転するのが楽しかったし、「早く未知なる目的地に着きたい」という“青さ”があった。

 しかし、こんな私も、知らずうちに日本中の高速道路を走り、未知なる地も次第に少なくなるなか、「一刻も早く目的地へ」という意識が薄らいできている。そして300㌔を無休憩で走るなんて無茶もしなくなった。

 むしろ、最近は30㌔ごとに休憩していると言っても過言ではない。

 高速道路は、家族や友人、仕事仲間などと走ることがある。しかし、高速道路の醍醐味は、1人で走ることだ。これは、オートバイでも同じだ。

 高速道路は単調な道だ。だから、同乗者と会話が弾むことは、あまりない。景色を見ても退屈なので、ドライバーも同乗者も必然的に無口になり、眠くなる。ガムを噛んだり、雑音混じりのFMを聴いたり、サービスエリア(SA)で買ったブラックコーヒーを飲んだり、ある種「暇つぶしタイム」だ。

 こんな時間は、家族や恋人など親しい人と過ごしてもそれほど楽しくない。客人などと同乗したならば、会話も続かず、気まずい空間に支配されてしまう。

 高速道路は修行と思うと楽しい。単調で無個性な道を、ひたすら走り続ける長距離走者の孤独な気分を堪能できる。常に自分と対話しながら、併走者なき世界を突き進む。「厳しい500㌔の行程をどのように過ごすかは自分次第」というような状況は、考えるだけでワクワクしてこないだろうか。

 カーナビを見ていると、かなり先にあるSAや、パーキングエリア(PA)の表示が出てくる。

 次の小さなPAに寄って、コーヒーで済ますか、その次の大きなSAでアメリカンドッグと紙コップのコーヒーを買うか迷うのも楽しい。

 SAやPAには、長距離運送業のドライバーや、出張中の営業マン、取材先に向かう旅行業界の新聞記者など、さまざまな人が休憩している。

 利用し慣れた高速道路では、自分の気に入ったSAもあるはずだ。同じようなものを毎回買い、背伸びをしたり、軽く体を動かしたりして、長時間の運転で疲れた体をほぐす姿も見掛ける。

 オートバイのライダーは、小さな庇のついた駐輪場で、タイヤやエンジン、荷物の点検なども寡黙に行う。

 高速道路は人生にも似ている。走り続け、各々がSAで1杯のコーヒーを飲み束の間の休憩をする。そして、再びハンドルを強く握りしめ、果てしなく続くメインストリートに合流していく。

 (編集長・増田 剛)

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