「女将のこえ227」谷﨑 由美子さん、日本の宿 のと楽(石川県和倉温泉)
2019年10月23日(水) 配信
□この道を歩む
「自分にはこの道しかなかったと思います」。天井が吹き抜けた開放的なロビーで、谷﨑さんは振り返った。
女将さんには珍しく、東京の薬科大を卒業している。生まれ育った福井へ帰り、1年間、薬剤師として病院勤務をした後、和倉温泉に嫁いだ。
谷﨑さんを語る上で、実父の軌跡は外せない。父は、福井の警察署長、同県警ナンバーツーを経て起業し、自動車学校や外車販売などを次々と手掛けた事業家だった。「実るほど頭を下げる稲穂かな」と、谷﨑さんに言い聞かせていたという。
「女将の仕事をしていると、良くも悪くも人の心を感じることが多いですから、そんな時はこの言葉を思い出しますね。また、父の姿も浮かびます。父は人に騙されて落ち込んだことが多々ありましたが、頼ってくる人には優しかった。それに比べて私はまだまだ、と力が出ます」。
いわゆるお嬢様だった谷﨑さん。開業医と結婚して3食昼寝付きを夢見、十数回のお見合いをした中で、「主人だけは毛並みが違うなと(笑)」。
「洒落たレストランではなく、ドライブインに連れて行かれまして、夢をずっと語っていたんです。今朝もです(笑)。この人と歩む人生は面白そうだなと思いました」。
そして始まった女将の人生は、意外なことに、「それほど悪戦苦闘していないんですよ」と谷﨑さん。
「何かと守ってもらいましたし、今に至るまで同じ2人のお手伝いさんが朝晩、家にいてくれますので、子育て中は本当に助かりました。今も家族のようです」。ゆとりある生き方も素晴らしい。
谷﨑さんは読書家で、歴史本や小説など5千冊超を読んできた。「今は白内障の手術をした事で老眼になり、読書も厳しくなりましたが、本との邂逅(かいこう)には数々の感動があります」。
だが、実体験はそれを上回る。「私の性格は真四角で、こうあるべきという考えが強いのです。でも女将になって、人の優しさや複雑さ、理解し合う喜びも、できない難しさも経験でき、いろいろな考えを理解しようと思えるようになりました」と、現実に自分が得た体験に勝るものはないと語る。
嫁ぐ前から着物が好きで何十枚も持っており、お花も茶道もできていた。両親は躾に厳しく、人に頭を下げる抵抗感もまったくなかった。加えて心のひだを増やすことができ、たくさんの出会いを得た。「この道しかなかった」という言葉の奥には、さらに多くの意味が積み重なっていることだろう。
コラムニスト紹介
ジャーナリスト 瀬戸川 礼子 氏
ジャーナリスト・中小企業診断士。多様な業種の取材を通じ、「幸せのコツ」は同じと確信。働きがい、リーダーシップ、感動経営を軸に取材、講演、コンサルを行なう。著書『女将さんのこころ』、『いい会社のよきリーダーが大切にしている7つのこと」等。