「観光ルネサンスの現場から~時代を先駆ける観光地づくり~(177)」かつての軍事要塞の島、猿島(神奈川県横須賀市)
2019年10月27日(日) 配信
「かつて横須賀は日本有数の観光地であった」。2014(平成26)年末制定の横須賀市観光立市推進条例の前文である。自らの地を「観光地」と思う市民は少数派であり、驚きの声で迎えられた。
横須賀が観光地のようににぎわったのは、幕末の1865(慶応元)年、この地に横須賀製鉄所が開かれたときのことである。当時の近代産業の最先端施設である製鉄所を一目見ようとする観光客であふれ、多くの旅籠が軒を連ね、日本初の観光マップもつくられた。マップには遊覧船が浮かぶようすが描かれているが、いま横須賀で人気の軍港クルーズ船を彷彿とさせる。観光とは地域の「光」を見るという意味だが、その光がまさに横須賀製鉄所であったのである。
では何故、こんな前文が生まれたのか。横須賀は日本初の軍港都市(海軍鎮守府)として発展し、戦後は自動車産業や造船・機械など製造業中心の産業都市として発展してきた。このため長い間、「観光」という産業は忘れ去られていた。しかし、人口減少と相次ぐ製造業の撤退、基幹産業の停滞が続き、新たな産業振興が強く求められていた。それが地域の新たな産業を誘発し、地域を活性化させる観光であった。
この条例に基づき、横須賀市観光立市基本計画とアクションプログラムが策定され、また昨年2月には「横須賀再興プラン」も制定され、横須賀は観光に大きく舵を切った。
最新の横須賀再興プランは、これから目指すまちづくりの3つの方向性を示した。「海洋都市」、音楽・スポーツ・エンターテインメント都市、そして個性ある地域コミュニティーのある都市である。
とりわけ海洋都市づくりは、横須賀の古くて新しい大きな課題である。久里浜・浦賀の歴史から、現在地に海軍鎮守府が置かれた歴史をみても、横須賀が海洋都市として発展してきたことや、これからも海洋を生かした都市づくりに優位性があることは言うまでもない。三浦半島の付け根にあり、東京湾防御の要の位置にある地政学的な優位性が、横須賀の歴史を生んできた。
海洋の活用は、ウィンドサーフィンワールドカップをはじめ、温暖で大都市に近い地の利を生かして、横浜DeNAベイスターズの総合練習場、横浜F・マリノスの練習場の誘致などが特筆される。同時に、日本遺産に認定された鎮守府都市の歴史を生かすために、この10月までアニメONE PIECEイベントでにぎわう猿島や走水などの砲台、浦賀ドック、戦艦三笠、ヴェルニー公園などを回遊できる「ルートミュージアム」の整備も楽しみである。最近では、首都防衛のための海上要塞として建設された第二海堡の上陸ツアーなども注目されている。
海洋都市としての魅力づくりは我が国全体の課題だが、日本開国の地である横須賀が再びその先端を拓いてほしい。
(東洋大学大学院国際観光学部 客員教授 丁野 朗)