〈旬刊旅行新聞11月11日号コラム〉「旅の力」を信じる 旅によって目が輝く子供たちを見たい
2019年11月11日(月) 配信
もう20年ほど前の話だが、新潟県旅行業協会が県内の施設の子供たちを、群馬県のサファリパークに連れていくチャリティー活動に同行取材したことがある。大型観光バスを手配し、旅行業協会の役員たちが子供たちを引率して、ホワイトタイガーを眺めたり、昼食時にはバーベキューを楽しんだりした。
子供たちの年齢はバラバラだった。さまざまな事情で家庭を離れ、施設での生活が続いたためか、子供特有の無邪気な笑顔は少なかった印象がある。小・中学校の遠足や社会科見学の旅行などと比べて、「子供たちは静かだった」と感じた。
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両親から十分な愛情を受け、日々ワガママを言ったり、何の気兼ねなく甘えたりできる境遇の子供なら、大きな声で「すっげぇー、あのトラ、かっこいい」「この肉、ほんとっ美味しい!」など素直に叫ぶことができただろう。しかし、「施設の方にお世話になって生活している」という「居場所がない」意識を心のどこかに持っている子供たちは、知らない旅行会社のおじさんやおばさんがどうして自分たちを旅行に招いてくれたのかも、理解できなかったのかもしれない。どのように楽しさや喜びを表現すればいいか、分からない子供もいたはずだ。
「明日はね、まちの旅行会社のおじさんやおばさんたちがサファリパークに連れて行ってくれるのよ。みんな楽しみましょうね」と、施設の方が子供たちに説明したかもしれない。
サファリパークに行く前夜に、子供たち同士で「明日楽しみだな」「早く行きたいな」といった会話は、もしかしたら交わされなかったのではないかと、勝手に想像する。これまでも期待しながら、それが「大人の事情」で実現されなかったり、忘れ去られていたりといった経験を何度も繰り返すうちに、「もう、何かに期待するのはやめよう」と、無意識のうちに自分に言い聞かせている子供たちもいただろう。
実際、バスに乗り、サファリパークに到着しても、喜びすぎる感情を抑えようとする心の働きによって、無邪気な姿を消し去ったのかと思うと、今でも胸が息苦しくなる。
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それでも、「あの日の子供たちはとても楽しかったのだ」と私は確信している。資金潤沢な大手旅行会社ではない。地元の小さな旅行会社の集まりが施設の子供たちを隣県のサファリパークに招待しようという想いに目頭が熱くなる。旅行会社だからこそできる「旅の力」を信じた素晴らしい行動だと感じる。
世の中には、旅行に行きたくても行けない子供たちがたくさんいる。テレビで楽しそうな旅番組を眺めていても、最初から自分たちとは無関係な、別世界だと感じて目を逸らす。そうやって外の世界との関係を自ら閉ざしてしまうのは、やるせない。
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旅によって目が輝く子供たちを1人でも多く見たい。海外リゾートに行くような大旅行である必要はない。少し離れた町のレストランで食事をしたり、海を眺めに行ったりするだけで、子供たちにとっては、かけがえのない楽しい旅になる。
パン屋は美味しいパンを作って感動させる力を持つ。スポーツ選手は夢を与えることができる。旅行や観光業に携わる者は、永遠に忘れられない楽しい思い出を刻み込み、新しい世界を広げて見せる魔力を懐に隠している。
(編集長・増田 剛)