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【特集No.541】 松江市「水に親しむまち」へ 遊覧船が“地元愛”と“誇り”育む

2019年11月29日
編集部:木下 裕斗

2019年11月29日(金) 配信 

 “水の都松江”として知られる島根県松江市は、松江城を囲む堀の水質悪化などの歴史を経て、現在は「水に親しむまち」へ大きく変貌を遂げた。その立役者は市内の堀をめぐる「松江堀川遊覧船」の存在だ。同遊覧船を運航する松江市観光振興公社の乙部明宏専務理事は、地元大学の学外サークル「みんなの堀川委員会」を立ち上げるなど、若い世代への教育にも熱心だ。10月11日(金)には、乙部氏が古くから親交のある松蔭大学観光メディア文化学部の古賀学教授と対談を行った。学生には松江市のまちづくりについて講演した。

【木下 裕斗】

 松江市観光振興公社の専務理事の乙部明宏氏は松蔭大学観光メディア文化学部の学生に向けて、地域に誇りを持つことの大切さを話した。堀川の水質悪化を改善しようとした市民の活動や遊覧船による地域への効果、認知度向上に向けた取り組みも説明した。

 松江市は、古事記(713年)と日本書紀(720年)に神話の舞台として記されていました。すでに市として存在しており、奈良時代には国庁・国分寺がおかれた歴史あるまちです。 

 現在は、魅力的な歴史と文化、観光資源を有し、人口は約20万人。首都圏からは遠いイメージが先行していますが、飛行機を使えば1時間20分ほどです。

 歴史を詳しくみると、市のシンボルである松江城は、江戸時代初期の1611年に築城しました。城を守る目的で作られた城内の堀は時代が進むにつれ、役割も変わってきました。城下町の住民が物資の輸送や水上交通、生活用水として利用し、大正時代には魚と子供が泳げるほどきれいな水質を保っていました。

 その後、上水道や、鉄道・自動車などの陸上交通が発展し、一方で船運は次第に衰退していきました。堀は一部が埋め立てられるなどして、幅は狭まり、水の流れは滞り、水質は悪化を極めました。水質汚濁のピークは1970年代のことです。

 市民生活と堀との関りが薄らぎ、「水離れ」現象も深刻化していきました。市民は汚れた堀の状態に危機感を抱き、「以前のようなきれいな堀を取り戻したい」と願うようになりました。堀川周辺に、樹木や草花の植栽も始まりました。ごみ回収や、不法投棄防止の啓発活動などを行いました。 

 市も動き出しました。ヘドロ対策と下水道の整備計画を策定し、72年に本格的な取り組みをスタートさせました。行政と住民が一体となった活動によって、生活雑排水や汚物が堀に流れ込むことは少なくなりました。

 75年には、松江青年会議所が「きれいになった堀を有効活用しよう」と「よみがえる堀川の会」を発足。遊覧船を運航する計画を市に提案しました。

 94年には、国や県などと一体で行う水質改善プロジェクト「清流ルネッサンス21」の対象地に選ばれました。96年はポンプ場を設置。宍道湖の水が堀全体に流れ、水質が飛躍的に改善しました。

 同年、市は遊覧船の建造や発着場、護岸などの整備にも着手しました。

堀川遊覧船が 97年運航開始 

松江市は97年7月20日、松江堀川遊覧船「ぐるっと松江堀川めぐり」を就航しました。

 現在は、松江城の外堀と内堀を1周する全長3・7㌔のコースを約45分で運航します。船頭は松江の歴史や観光スポットを案内します。コースに面した民家の庭では住民が花をたくさん植えて、観光客を歓迎しています。現在では、年間約30万人に利用してもらっています。…

【全文は、本紙1778号または12月5日(木)以降日経テレコン21でお読みいただけます。】

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