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〈旬刊旅行新聞2月21日号コラム〉「旅と本」 未知なる旅先での読書は脳を刺激する

2020年2月21日
編集部:増田 剛

2020年2月21日(金) 配信

旅先での読書は刺激的

 スマートフォンを手にして以来、通勤電車の時間帯は、スマートフォンを眺めることが多かった。職業柄、日がな一日、パソコン画面で記事を読み、書き続ける毎日なのに、帰宅の電車に乗り込むと、惰性でスマートフォンの画面を開き、ネットニュースを追い続けることが習慣となっていた。必然的にアナログの本を手にする機会が大幅に減った。そのことに対する罪悪感がずっとあった。

 
 「あれだけ本が好きだったのに、もしかして自分は、このままスマートフォンばかりを握りしめて、本を読まない人間になっていくのか」という恐怖もないわけではなかった。だからといって、無理やり読書をするのもヘンなので、本を読みたくなるのを静かに待っていた。
 
 すると、どういうことだろう。昨年末から読書欲が旺盛になってきたのだ。最近は休みの日になると、本をたくさん買ってきて、片っ端から読んでいる。自分でも驚いている始末だ。本好きな自分に戻りつつあることに喜びを感じている、今日このごろである。
 
 私がまだ若かりし10代や20代のころは、スマートフォンなどなかったので、本ばかりを買って読んでいた。一人暮らしの部屋は本に囲まれ、いつも本が一緒だった。
 
 旅も好きだった。旅をすると決まれば、ボストンバックに着替えなどはほとんど詰め込まなくても、文庫本を数冊、必ず持参していた。旅の途中、見知らぬ町の小さな本屋さんを見つけると、引き寄せられた。想像以上に本の品揃えが少ないため、「まいったな」と思いながらも、客のいない、しんとした状況で何も買わずに店を出る気まずさに負けて、埃まみれのツルゲーネフやヘルマン・ヘッセの一番薄くて、安い小説をレジの前に座る主人に持って行ったことも度々あった。
 
 とにかく旅をしている間は、1時間に1本しか来ない電車を待つホームでも、駅前旅館の窓のない和室の中でも、時間は無限に感じ、読書以外にすることがなかった。
 
 20歳のころ、フェリーで大阪から北九州まで帰省したことがあった。薄暗い雑魚寝部屋で夕方から朝までドストエフスキーの「罪と罰」を読み続けたことを懐かしく思い出す。スマートフォンがなかった時代の旅の時間の過ごし方も、現在とは隔世の感を禁じ得ない。
 
 旅にも色々ある。私はクルマを運転するドライブ旅行も、オートバイのツーリング旅行も好きだ。これらの旅の途中は当然、読書は不可能なので、ハンドルを握りながら、流れる景色を眺めつつ、物思いに耽る時間を大切にしている。
 
 一方、鉄道や飛行機、船での旅は「移動中にどのように過ごそうか」と考えることも楽しい。旅情に浸りながら酒を飲むのもいいけど、1人、読書をするのに最適な時間である。
 
 未来を思い描くと、日常生活や旅先でもスマートフォンは、今以上に欠かせないアイテムになることは間違いない。どんなに孤独でも、社会との「つながり」を感じられるインフラだ。
 
 旅は未知なる世界との出会いの場であり、つながりを一時的に自ら断ち切る行為でもある。
 
 旅で五感が冴え、研ぎ澄まされているなかでの読書は、脳をさらに激しく刺激する。社会とのつながりを切りたいときに、「旅と本」はとても相性がいい。
 
                           (編集長・増田 剛)

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