「街のデッサン(227)」 海女さんが守る地球未来 何故に彼女たちに畏敬や温もりを感じるのか
2020年3月8日(日) 配信
2月の始め、鳥羽・志摩の海女さんたちの「日本遺産」認定を記念し、三重県志摩市でシンポジウムが行われた。私も基調講演者として招かれ、久しぶりに「海女に出逢えるまち」に出掛けた。近鉄線の特急に乗ると冬の空は冴え渡り、海女の潜る海の青さや、潮の響きを想っていた。
海女を巡る文化が日本遺産に認定された理由には、世界的に珍しい素潜りの漁法と環境共生、漁獲物と神事の長い歴史的な意味合いなどが挙げられる。海洋政策研究所は、さらに海女文化の存在をユネスコ無形文化遺産へ登録するために5つの価値を挙げている。
1つ目は、海女は素潜り潜水という特殊技術を身に付けた自立した女性であること。2つ目は、海女はどんな生業を営む民よりも長い歴史を持つということ。3つ目は、海との持続可能な漁法を守り続けてきたこと。4つ目が、海女の生き方が自然との共生を基礎にしていること。そして5つ目が、海女の存在が漁村共同体の要になっていること。この5つの視点には深く首肯できるものがある。
私はそれらの思惟とはちょっと違った視点で、〝2点の海女の存在理由〟を考えてみた。
1つ目は、私たちが海女さんに出逢うとき、畏敬や親しみとか、温もりなどの共感を何故に抱くのかという疑問から生まれたものだ。その答えは、オパーリンやホーキングが説くような生命の根源が「海」にあるからではないだろうか。
ロシアの生化学者・オパーリンは、地球の生命の起源は「磯」にあるとした。海辺のラグーン(潮だまり)で最初のタンパク合成が起こり、生物が生まれ、上陸して人類種をも誕生させた、という仮説を打ち立てた。そういえば、人間の呼吸は1分間に18回、寄せる波の回数と同じ。赤ちゃんはお母さんのお腹の潮だまりに浮かんでいる。
すなわち、海女さんたちは日々生命の根源に共生し、その神秘と共存している存在なのだ。
理由の2つ目は、もしこの世から海女の存在がなくなった日が来るとしたら、「それは地球の存在そのものを担保できなくなる日」と考えてよいのではないか、ということである。今地球の環境劣化が限界に来ている。とくに海の汚染は進み、廃プラが魚たちを死に追いやっている。生命の苗床の磯が致命的な損傷を受けたとき、海女の存在も絶たれることになろう。
鳥羽・志摩の海女さんたちがいつまでも崇高な姿で海に潜っている自然が、実は地球という生命体を守り、持続を可能にさせている美しい証である、と私には思えてならない。
コラムニスト紹介
エッセイスト 望月 照彦 氏
若き時代、童話創作とコピーライターで糊口を凌ぎ、ベンチャー企業を複数起業した。その数奇な経験を評価され、先達・中村秀一郎先生に多摩大学教授に推薦される。現在、鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する『構想博物館』を創設し運営する。人間と社会を見据える旅を重ね『旅と構想』など複数著す。